Lilie

哀愁しんでれらのLilieのネタバレレビュー・内容・結末

哀愁しんでれら(2021年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

「なぜその女性は社会を震撼させる凶悪事件を起こしたのか」

監督が言いたかったのはこれに尽きると私は考える。
だって繰り返しこのフレーズは使われてきたじゃないですか。

この映画は実際にあった事件を下敷きにはしていないので、それを明らかにする映画ではない(劇中にでるニュースは脚本を書くきっかけになった実際にあった事件が下敷きになっていると思われるけど)。

でも、世間を震撼させる事件が起きたとき、人は「動機」を知りたいと思うのではないか。
心理学者や犯罪科学者など専門家が分析し、警察が取り調べ、裁判で経緯や動機が明らかにされていく。
酒鬼薔薇(さかきばら)事件しかり、秋葉原通り魔事件しかり、京アニ事件しかり。
そして、犯人の猟奇性やサイコパスさに、驚き、自分は関係ないとホッとする。
生育歴をみて、だから〇〇はダメなんだと呟いたりする。

でも、本当に私たちとは関係ないの?

本作の主人公小春も母親が失踪、おそらく祖父や父親に育てられる。
劇中でも、「母親の愛を知らずに育ったあなたが母親になれるの?」と言われるシーンもある。
「片親だから」よく言われるフレーズだ。

しかし、小春は最初から狂気をはらんでいたか?
児童相談所に勤め、おそらく自分のような子を増やしたくないと、職務熱心だった。
真面目な、真面目過ぎる女性。

大悟はどうか。
おそらく医大に通えるほどの裕福な家庭に育ち、頭も良く、院長という社会的立場にある。父親の影はあまり見られず、母親に叩かれたトラウマを抱えている。それこそ父親は不在だが、母の愛が欲しかったとエディプス・コンプレックスを抱えているように見える。
小春と初対面のときの大悟はどうだったか。
医者にありがちな横柄さはなく、せめてお礼だけでも、というその姿は謙虚ですらある。
ただ、ドレスを贈る際は躊躇もせず、のちのちの片鱗は見える。靴を弁償するにしてもらあまりに不釣り合いなドレスと靴で、小春が活用できるとは思えない。
でも、あれはシンデレラだから「王子様」が舞踏会にいけるようなドレスを着せてくれて、キラキラした靴を履かせてくれることが必要だったんだろう。

ダンスシーン、そして官能的に2人が結ばれるシーン、さらに結婚先のシーンで幸せは絶頂に達し、お伽話ならふつうここでめでたしめでたしと終わる。

私も映画視聴の際に感じ、あとでパンフにもあえてそうしていると書かれていたが、ここから一転、パステル調から色が変わる。

さあ、ターンの始まりだ。
後半で私が思うにもう一つ象徴的な色がある。赤だ。(家の内装に多用されていた紫もそうではあるけど)
ヒカリの赤い靴。
あれを見た時アンデルセンのその名もずばり「赤い靴」を思い出した。
本作と主旨は少し違うが、赤い靴に魅入られて教会に履いてはいけないとされる赤い靴を履いて行ってしまうカーレン。
お葬式に赤い靴をなんとしてでも履くというヒカリ。
その頑なさは似ており、監督はこれも取り入れたのかな?と思わずにいられなかった。
許されざる罪。
両者は単に好きなものを貫き通したかっただけ。
お弁当を捨てたのも、持ってきてないといえば、結果的に渉くんのグループに入れてもらえる。そういう打算であり、継母に対する嫌がらせではない。
筆箱も大好きなママから貰ってこんなに大切にしてたのに、盗られたという事実を作りたかっただけ。
そうわたしは考える。
子どもらしい悪知恵で、ただし、子どもらしく残虐で周りへの配慮はない。
気難しい子ではあるけれど、心から小春を慕っており、いかないでと引き留める。
まあ、内緒にしてたことをバラされて、そこはムッとして態度には出てるけれども。

つまり本作に本当の悪人、サイコパスはいない。
モンスターペアレント(モンペ)は特殊な人間だと人は思うだろう。
でもわたしの知り合いにもいて、その人はとても子どもを愛し、周りにも優しい。

そう、誰でもモンペになりうる。
たまたまなっていないだけで。

本作の中である子どものトラブル。
私の子どもはまだ学校にいっていないので、生徒同士のトラブル、いじめなどは経験していないから、感情移入しきれてない部分もあるけど、
紙一重だなと思ったことがある。
私自身も前に小学校のクラスで嫌な思いをしたことがあった。
そのことを先生が公にした時、ある母子が謝りにきてくれた。
大勢関わったのにきてくれたのはわずか一人。
でも来てくれてすごいなと思った。
しかし大人になってから、その人に会った時に自分は母親から虐待を受けていた、と聞いた。
もしかしたら私以上に辛い思いをしている。
その人は今は明るく、なんでも話せる相手だが、トラウマに苦しんでいるのはみてとれる。

歪んだ人にはそのきっかけがやっぱりあって、でも、それ一つ一つは結構些細なことだったりするのだ。それがだんだん積み重なっていく。
それを癒してもらえなかったとき、人はある時は自分を傷つけ、ある時は他者にその矛先が向ける。

そんな人間の怖さと、紙一重さ。
そして関係ないと思っている側(自分も含めて)の無神経さ。
その無神経さが彼らを狂気にかりたてるのだ。

ほら、「人殺し」と書いた人のようにね。

明日は自分かもしれない。
小春は自分かもしれない。
大悟は自分かもしれない。

劇中で友人も言ってるように、願望をもつ瞬間に人は苦しむ。
幸せになりたいと思ったその瞬間に思い通りならないとあがく。
思い描いたとおりに修正しようとあがく。

本当の幸せってなんだろう。
いま不満だらけかもだけど、実は自分は事件を起こさないだけど十分シアワセなのでは?

ラスト、3人は幸せそうにみえる。
でもそれは赦されることではなく、罰を受け、おそらく親は死刑になるか、
私は自分たちもまた死を選ぶんじゃないかと思っているけど、いずれにしても家族3人でいられるのは終わり。

(ちなみに冒頭から考えると、小春が歩いている廊下には児童たちは見られない。
コトを終えたあとで、割烹着をするりと脱ぎ、踊るように妖艶に小春は歩き、誰もいない教室に入っていく。
これがコトのあとであるとすれば大吾とヒカリは?
あの3人がシアワセそうに授業してるのはもしかして死後?なぁんてことも考えてしまった。
そして服装があのドレスと靴なのは一番シアワセな時の象徴だから、わたしはいま幸せだと言いたいのかもしれない)

やったことは当然に許されることではないけれど、なんとかして家族としての幸せを求めた結果なんだろうと思うと責められない。

そこに監督の狙いはあるんじゃないか。
どんな人でもそうなりうるよ、という囁き。
あんなに優しそうな風貌なのになんてことを、おもいつくのか。
脚本をよんでその緻密さと、映像されたそれをみて当初からのイメージの確かさがすごい。
あの点滴がゆれうごくとことかね。
近くに絶対、糖尿とかの医療を受けてる人か、医療関係者がいるねとか分析してみる。
点滴もあまり説明されてないけど、あれ疲労回復用のブドウ糖じゃない?とか。(砂糖と塩と水と言ってたけど)
それ思いつくのって、身近にいそう。
それか受けたことがあるか。

そして、土屋太鳳。
彼女は陽のオーラがあり、肉体的にも健康さが感じられる。
その彼女が冒頭で妖艶に歩き、大吾とのベットシーンで聴診器を自分から使い、官能的にキスをし、指を噛む。自分から誘うシーンもある。
だんだん狂気を孕んできたときに、髪を抜き、目つきが変わっていく。ヒカリがそんなことをするはずがないと激昂する。
本来の健康的な彼女のイメージが真逆になっていく。3度断った役を真摯に生き、新しい土屋太鳳を私たちは見ている。

田中圭。
わたしは彼のファンなので、贔屓目に見てしまうけど。
彼はクランプアップのコメントで「「なんかもうちょっと変わり者だったり、サイコパスだったりとか、そういうところを押し出していった方が良いのかなと思って、(脚本を)読んでいたんですけど、現場に入って、監督の話とかイメージとか聞いていると『あ、多分そうじゃないんだな』って。比較的ナチュラルにやっているつもりなんですけど、まあ、変なところも確実にあるし…」
(https://www.cinra.net/news/20210128-aishucinderellaより引用させていただきました)と語っている。その通り、「ナチュラル」に演じてみせた。
脚本にない肉付けもしていて、色々あるけど、一番印象に残ったのは、自分の絵を燃やそうと箱に入れている時。
絵が入っていた箱を足で蹴って移動させる。
脚本のト書きにはそこまで書いてない。
役者なら当たり前かもしれない。
でも自分の宝ものとの訣別をその一蹴りで表してみせる。わずか一瞬で。
あるいは小春からこうしたらと耳打ちされて抱きしめる予告でも流れていたあのシーン。
今まで大悟が見せなかった縋り付くような、初めて小春を認識したようなあの顔。
小春の表情の指定はあるけど、大悟は「感動して」のみ。それがあの表情。
ナチュラルに演じるというのはすごく難しいと思う。
田中圭が大悟やるなら、というのも土屋太鳳にはあったらしいが、何回も共演している信頼関係が二人にあったからこそ、あの指つかいや指かみなど単に身体を動かすのではないまるで覗き見してるような気分になったベッドシーンやピロートークだったんだろうし、ダンスシーンだったり、激昂する大悟とそれを受ける小春だったんだろうなと思う。

そしてCOCO。著名なインスタグラマーである彼女は自分がどのように見えるか本能的にきっと知っている。
演技は初体験だったそうだけど、モデルは一瞬でその服にまつわるドラマを生きる。
彼女だからこそ、醸し出せたものがあったのではないか。
天真爛漫さと、気難しさ、その表情の対比がすごいし、終盤激昂するときも子どもらしい手をつけられなさ、というのが本当に出ていた。

イメージが確固としてある脚本とそれを書いた監督、脚本“を演じる俳優たち。
どんな映画もそれはそうなんだけど、その化学反応でしか本作は生まれ得なかった。

見る前、どんなに凶悪な事件を起こすのかと、1回しか見るのに耐えられないんじゃないかとか心配していたが、たしかに凄惨ではあったが、それだけじゃなくて、どうしてこうなっちゃうんだろうと、3人が頭の中に住んでしまうような中毒性があって、また見たいと思っている自分がいて驚いている。
好きな俳優が出てるからみようという気持ちだったのに、逆に取り込まれてしまったような、不思議な魅力をもった作品だ。
未見の方は是非映画館で見ていただきたいなと思う。
Lilie

Lilie