この作品を端的に表現するならば、
え? ゾクッ ゾクゾクッ
です。
田中圭は、
おっさんずラブのイメージ強くて……というか、そのイメージしかないから女の子のこと好きなんだって素でびっくりしました😆
まず言いたいのは、
子役の子、こえーー。
「絵里花が例えてあげる」で一世を風靡した、
家なき子出演、榎本加奈子の100倍陰湿ですよ😂
筆箱のことやお弁当のことはもちろん、この子関連のところは"性格悪い"の表現では生ぬるい。
パパの部屋で大事なものを壊したママを容赦なく責め立てるところは現代に現れた悪魔そのもの。
その後の「パパには内緒の約束」を、その前の自分の約束を破った仕返しとばかりにパパにチクっておく。
悪魔は父と二人がいいのかと思えばそういうわけでもない。
父母を支配しコントロールしている。
田中圭は田中圭でパッと見の印象は良いんだけど、中身はサイコパス。
人を人と思わない。ツラッと自分と娘以外を躊躇せずに傷つけられる重度のサイコパス。
少女漫画原作のヒロインのイメージが強かった土屋太鳳は妻であり2台目母親。←あえて「台」を使ったのは、人として扱われていない印象を受けたから。
児童相談所勤務で散々「母親論」を語った割に自身の目は節穴以下。
問題を把握しておきながらも見ないふり。なかったことに。
しかし、
これは土屋太鳳が節穴であると同時に相手がサイコパスと悪魔の凶悪ツートップなので仕方ないのかもしれない。
話は変わって、
子育て中の親にはモロに突き刺さるところがありました。
原文そのままじゃなく、自分のうろ覚えですが、
・親になるのは簡単、親であり続けるのが難しい。
・親なんてそんなもん。子供のことを何もわかっていない。だけど、父親だ。そんなもんだ。
この二つが深くて深くて深スギィ!!
・親なんだから
・親として当たり前
誰がそんなことを決めたんだろう。
子供の幸せを考えることは親にしかできない。
親は子供のことを考えるけれど、実際に行動をするのは子供自身である。
親がしゃしゃり出て、あれもこれもそれもというわけにはいかない。
親が行動したこと=子供の幸せ
ということではない。
田中圭の母の言葉が痛いほど突き刺さる。
そして、
土屋太鳳は子供の闇を見ており、わかっていながらも田中圭に真実を伝えられない。
歪んだ愛ではない。
愛が歪んだカタチで現れたのだ。
現実を直視するのは困難である。
自らの過ちを認めるのは難しい。自分の子供のことも同様である。
子供のことを信じたい。子供が間違っていないと信じていたい。子供が正しいと信じたい。
それはなぜか?
子供のことを愛しているから?
作品を通していくと、
子供を見ているようで見ていない。見えていない。
※ そもそも完全に見えるはずがない。
"子供を信じる自分"を信じている、という印象。
土屋太鳳や子役の表情の変化に戦慄する怖さがあります。
言葉に表すところももちろんですが、表情の変化や耳を押さえる仕草、過去の母親の対応と現在の土屋太鳳の対応のコントラスト、衣服への着目するのも面白いです。
家族3人になるところで、青と黄色の衣服の夫婦に赤の子供。信号機を意図的に連想させてるのかさせてないのか。
そんなことを考えさせながら、登場人物の何気ない言葉が深かったり。
序盤の何気ないインシュリンの話がラストに繋がったり。
初見の目を疑う「え?」からの「ゾクッ」は直感的。
間を置いて論理的にくる「ゾクゾクッ」をぜひみなさんにも体感していただきたい作品でした。