いち麦

太陽がいっぱいのいち麦のレビュー・感想・評価

太陽がいっぱい(1960年製作の映画)
5.0
アラン・ドロン追悼鑑賞。言わずと知れたアラン・ドロンの代表作。子供の頃からTV放映カット版を父親と一緒に何度も見た(見させられた)。サインを練習する場面が一番よく記憶に残っている。大人になってから「2人の重要人物、トムとフィリップは同性愛関係にあった」とする淀川長治の解釈を知り、いつか自分の目で見て確認したいと思っていたが、とうとうアラン・ドロン追悼鑑賞のこの機会になってしまった。勿論、云十年前の鑑賞時には男色系映画という認識など全くなかった。

前半フィリップの婚約者マージュが登場し次第にフィリップがトムをあからさまに見下すようになっていく一方で、トムはフィリップに成り代わろうとする下心を燃やし始める。丁寧に映像だけで感情が表現されていて驚かされる。言われてみれば確かにこれは疎まれるようになってから憎しみへと裏返った愛情、なおフィリップと一体化したいというトムの愛の迸りである。まるでキスをするように鏡に自分の顔を近づけフィリップの真似をする場面がとても艶めかしい。これはもう決定的だ。
後半はフィリップに成りすましたトムが、自分自身のトムとかつて自分が愛したフィリップの二役を演じるサスペンス展開になっていく。ここでトムはフィリップに代わって真っ先にマージュを手に入れようとはしていないし彼女に執着していないように見える。これも彼がゲイであることを考えるととても自然。思えば洋上でマージュがフィリップに向けてトムへの嫉妬をぶつける場面もあった。元来トムとマージュは恋敵だったはずだからか。フィリップが度々口にするお気に入りの地、タオルミナが19世紀ごろからゲイに人気の観光地であることも後で知った。
最後に彼の殺人が露呈する件のスリラーのような短い映像は今見ても鳥肌が立つ。最近見た「Saltburn」と相通じるテーマを感じた。当時、アラン・ドロンは監督の演出意図をどれくらい信頼してトムを演じていたのだろうか。
馴染み深いニーノ・ロータによるあのテーマ曲…それぞれの場面場面にしっくり嵌っていて揺さぶられる。映画音楽の名曲中の名曲。

改めて見直してみて、ヘアスタイルのせいか今作のアラン・ドロンのマスクが時々ブラッド・ピットに重なって見えて仕方がなかった。トムが出かけた魚市場でエイの口をまじまじと写すショットが強烈で異様(今回初めて注意が向いた。何かの暗喩なのだろうか)。タイプライターがオリベッティのレッテラ22だった。
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