これのどこがコメディだって?ちっとも笑えないぞ!
「人は見たいものだけを見る」「見たいものにするために力を加える」というのが良くわかる。
今から40年前に、こんなにも性加害を表した作品があったなんて本当に驚きだ。
「自分は女の気持ちがわかる、僕はドロシーだ」といいながらサンディを蔑ろにする姿はまさしく“男”そのものでなんとも皮肉だった。
(後にそれに触れるシーンがある)
この映画のスコアを5にしなかった理由は「出てくる男が気持ち悪いから」だけではない。
出てくる女たちがヒステリックだったり、酒の力を借りたり、父親の力を借りないと“何かをできない”人物ばかりで、結局「ああこれは“男”がつくった映画だな」とわかってしまうからだ。
(エンディングの都合のよさも“男”向けだし)
劇中劇の台詞が全ての解決方法だと思う。
「女だと認識するのはやめて、私は人間よ。ここで働いている人たちも人間です」
体の気遣いに男女の区別はあれど、社会的な意思疎通に「性(欲)」は必要ないのだから。