けー

星の王子ニューヨークへ行くのけーのネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

なんだか泣けてきた。

「Love Jacked」や「ブラック・パンサー」を見ながら、もう一つピンときていなかったアフロ・アメリカンにとってのアフリカ像。

デンゼル先生が「ブラック・パンサー」をみて感動したという話をしていたこともあって、どうしても気になってしょうがなかったんですね。なんというかちゃんと理解したいというか、「ああ、こういうことか」と納得したいというか。

わかるような気はするんだけれど、なんとなくまだよくわかりきれていない感があって気になっていたのですが、先日T.I.のポッドキャストでLL cool Jがゲストの回を聴いたら、手がかりになるような会話がでてきまして。

LL cool Jもすごく「ブラック・パンサー」で感動したと話していたんですね。

で、 LL cool Jは子供の頃は、黒人ばかりの学校と白人ばかりの学校と両方通学した経験があるそうなのですが、学校で歴史の授業にでてくる黒人の話といえば”奴隷として連れてこられた”という話だけで、白人の子どもたちと一緒に授業を受けていてとても居心地の悪い思いをしたそうなんですよ。

「まるで自分たち黒人が成し遂げた偉大なことは奴隷としてつれてこられただけと言われているような気がした」と。
いわゆる黒人の偉人というのが歴史の授業の中にでてこなかったと話していたんですね。

それをきいて、そういえば、デンゼル・ワシントンも「グローリー」に出演するまで南北戦争の北軍に黒人部隊あったというのは知らなかったと話していたなぁと。

で、LL cool Jは「ブラックパンサー」をみて、本当に感動したそうなんですよ。「こんな風にアフリカが何か特別で素晴らしいものと描かれた映画ははじめてみた」と、それがとても感慨深かったと話していて。

それをうけてT.I.がエディ・マーフィーの「星の王子ニューヨークに行く」とそのころにリリースされたマイケル・ジャクソンのアフリカのMVをみたときもすごく感動したという話をすると、LL cool Jも同意していて。

で、好奇心をすごくくすぐられたので「星の王子ニューヨーク」を見ることにしたんです。

で、なんだかもう思い切り泣けてきてしまったんですね。

アキーム王子がニューヨークのクイーンズで暮らしはじめて、そこでいろんなアフロ・アメリカンと遭遇していくわけなんですが、彼らのもつアフリカのイメージというのが本当に身も蓋もなくて。

つまりはこういうことなんだなぁって。

なんというかアフリカの全てが過去の負の産物であってそこから抜け出さなくてはいけないようなものとして教えられてきたイメージとは対照的すぎるアキーム王子の豊かさと品行方正さが子供心にすごく響いたというのがわかるし、痛快だっただろうと思うし、自分にとってのヒーローを持つって本当に大事なんだなぁって思うと同時になんだか泣けてきてしまって。

だって、そこから「ブラックパンサー」まで待たないといけなかったのかって。

いやでもそういった感慨をさっ引いても面白かったです!

これをみて本気で泣けてくる自分はどうよとやや自分にドン引きましたが、もとよりベタな物語が好きなので大団円にニッコリ幸せな気持ちになれましたとも。

ザムンダ・ワカンダ・フォーエバー!!!

あと「星の王子ニューヨーク」を見ていてジョン・シングルトン監督の「ボーイズ'ン・ザ・フッド ( Boyz n the Hood)」の中で語られていたアメリカの学校教育を受けると白人の価値観を教え込まれるので、黒人の人たち自身が黒人蔑視の気持ちや嫌悪の気持ちを植えつけられてしまうという話も思い出してしまいました。つまりはこういうことなのかなというような。


追記:

8月28日、チャド兄ことチャドウィック・ボーズマンがこの世界から旅立った。

2016年から大腸ガン、ステージ3の診断をうけていたということは、スパイク・リー監督の「ザ・ファイブ・ブラッズ (DA 5 BLOODS)」は遺作覚悟だったということか。

どれほどの痛みや苦しみや恐怖と戦いながら毎日を生き抜いていたんだろう。
そのことを思うだけでも涙が止まらなくなる。

デンゼル先生からのバトンをしっかりと受け止めたチャド兄。デンゼル先生に直接お礼をいえて、本当によかったと思う。
そこに到達するまでチャド兄がこの世界にいられてよかったと思うと同時に、まるで役目を終えたと同時に神様に召喚されてしまうなんて。

チャド兄が「ブラック・パンサー」をやったことがアメリカのブラック・コミュニティにとってどれほど大きな意味をもっていたのか絶対に忘れない。

スコセッシ監督のマーベル批判にチャド兄が反論ぜずにいられなかったこともしたこともその思いがあったからだと思う。

”映画”というものがなんであるかとか、そんなことはどうでもいい。
ここにたどり着くまでどれほどのアフリカン・アメリカンの俳優さんたちがバトンをつないできたかということを忘れて欲しくない。

チャド兄も”映画”のなんたるかという話でいけばスコセッシ監督の言いたいことや憂いについても十分に理解していたし、同感なところだってあったと思う。

チャド兄の俄かファンのくせになにをいうというようなものだけれども。

ポー兄の喪失感がようやくマイルドになってきたところだったのに、チャド兄のこれは本当に辛い。

BLMに関して政治利用されたりすることも多くて、いろんなニュースや記事を読んでいるとだんだんとわからなくなってくることもある。

でも、日常的に命の危険を感じながらアメリカの黒人の人たちが生きているという事実は嘘ではない。

表面的には無意識下に押しこめている人たちも多いし、なかなかそのことを表に出していうひとは多くない。
でも、成功しているひとや白人の人たちに圧倒的な人気を誇っているアメリカの黒人でスターのひとたちが、ジョージ・フロイドさんのことから吐露しはじめた。

車を運転していて警官に車を止められた時、まるでパブロフの犬のように手が震えてきてしまうというような症状。
子供の頃から一度として自分たちをまもるために警官がいると思ったことなんかないという話。
目をつけられないように、違反をしないように家を出るその瞬間から気を張り詰めて生きている。
警官に呼び止められても、その恐怖を自分の白人の友人たちが感じていないことに気がついたときのショック。無力感。

そのことについて真摯に受け止める、耳を傾ける、そういうことを心がけるようにしたとき、見えてくるもの、自分がどっちの味方になりたいかということがだんだんわかってくるようになる。
”時間がかかる”なんて言っている場合ではない。

シャツを掴んで背後から7発も銃弾をあびせられる。それを「警官のいうことにしたがわなかったから仕方ない」となんの疑問ももたずに言えてしまう、それが"Implicit Bias"の怖さだ。

自分でも気がつかない。見えない。

スポーツ選手の人たちがボイコットしたとき、「プロとして責任感がない」という意見をみたとき、心が痛かった。スポーツ選手としての寿命やコンディションを考えれば、一年一年のシーズンを誰よりも棒にふりたくないのはスポーツ選手のひとたちだ。

もしかしたら選手として一番波にのっているときかもしれない。
それでもボイコットをする。
ものすごい犠牲の払い方だ。
それを考えてほしい。

そこまでしないと誰もきいてくれないからだ。

東大の教授が「プロとしての責任を果たしながら訴える手段が他にあったはずだ」というコメントをしていた。

何年、何十年、何百年訴え続けてきていると思っているんだろう。
それでもきいてくれないから。

きちんと法にのっとった、社会的ルールにしたがった方法でうったえても黒人の人たちが警官に殺されるのがとまらないから。それがきちんと罰せられることもないから。

抗議といって建物を破壊するのは間違っている。店を破壊し、ものを盗んだりするのももってのほかだ。

それはそうだろう。

でもそこまで追い込んだのは誰だということも考えてほしい。

自分の過ちを認めないで相手の手段が間違っているといっても相手は納得しない。

ついつい忘れがちになるのだけれども、そこに至る前に、なんとかするチャンスはいくらでもあったはずなのだ。

点だけを見ていてはわからない。

全体像をみないとだめだ。

そういうことがようやくみえてきた。

そのことに私はいままでまったく気がつかずにいた。

ポー兄やチャド兄が教えてくれた。

ラキ兄やデンゼル先生、すごくすごく大好きな人たちが悲しいことで傷つき続けるのはいやだ。

ジョージ・フロイド氏のことからいまにいたるまででも、大好きな俳優さんたちがひどいことばに傷つけられ、消耗していくのを目の当たりにした。

そういうのは嫌だ。

絶対に嫌だ。

それから...。

もう一つチャド兄のことで。

ケヴィン・ハートのドキュメンタリーで、ケヴィン・ハートが1974年「Uptown Saturday Night」のリメイクを計画していて出演交渉の場面で、イドリス・エルバとチャド兄が登場していた。

シドニー・ポワチエが監督・出演していたコメディ映画で当時のアフリカン・アメリカンの大スターが共演して、それを再現したいというケヴィン・ハートの思いだった。

そのあとケヴィン・ハートもスキャンダルに見舞われていたので、プラン自体がどうなったかはわからないけれども。でも、出演交渉の場を映してOKとしたチャド兄の心意気や、もしプロジェクトが軌道にのっていたなら、チャド兄も参加していたのではないかと思う。

チャド兄は俳優としてもっともっとやってみたいことがあっただろうと思う。

TVドラマの役からはじめてタイプキャストしかもらえないことに焦れて、エージェントの反対をおしきって、映画に挑戦しはじめた。

デンゼル先生にあって直接お礼をいえたときにはもうガンの宣告を受けていたんだなぁ...

追記2:

3月5日にアマプラで「星の王子ニューヨーク2」が配信されるということでエディ・マーフィのインタビューがいっぱい上がってきています!

いや単にここ最近私が「エディ・マーフィってすげー!!!」ってなっているってだけのことなんですが。

昔のインタビューを読んでいるともうどれほどこの人がハリウッドの人種差別の壁に風穴をあけようと奮闘していたのかがわかってもう唖然というか。

「星の王子ニューヨーク」はキャスト全員を黒人でいきたかったのにどうしても白人を入れろと言われて、ここにはまれる面白い白人って誰かいたっけ〜ってことで、1人だけハンバーガーショップの店員に白人の人をキャスティングしたって話をしているんですが、昔のインタビューでも、全員黒人キャストで映画を作ることが悲願的なところがあるみたいなことをよく語っていて。

他にもキング牧師やマルコムX、ジェイムズ・ブラウンや歴史上重要な役割を果たした黒人のものがたりを映画にして広く伝えたいという思いがあったみたいで、そのために動きまわっていたっていうのとかを知ってもう。

そういえばオーガスト・ウィルソンの「フェンス」もエディ・マーフィが映像権を持っていてシナリオも彼を前提に書かれていたんだっていうのをデンゼル先生が話していたのも聴いているのに、エディ・マーフィが映像化権を持っていたってことの意味について考えたこともなかったなぁって.....今エディ・マーフィの話をしたらとまらないのでこのあたりで。
けー

けー