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ノマドランドのSPNminacoのレビュー・感想・評価

ノマドランド(2020年製作の映画)
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「ホーボー アメリカの放浪者」を読んだのもあって、資本主義社会とその副産物であるホーボーと個人が辿った歴史、その果ての挽歌という印象。ホーボーの歴史は資本主義の歴史でもある。産業革命に始まり列車から車へ、労働運動、社会主義、反体制、ドロップアウト、ロマン…これまでの様々な側面を現代に引き継いだノマド。
RTRはネットを駆使し効率化したかつてのホーボージャンクルを思わせるし、ボブ・ウェルズの演説も本質的には昔のそれと変わらない。ファーンが出会った若い男は50年代オン・ザ・ロードからバッドランズの面影。路上というどこへも行き着かない川の流れに身を任せ、転がり続ける石、アメリカ社会の荒野が未だあちこちに広がっている現実。
家を持たず移動し続ける生活スタイルを開拓民に例えられたりするが、新天地を切り拓く訳じゃないし、高齢者なので野に放たれた自由よりも喪失感が深い。町ごと居場所を失くしたファーンにとって、選択肢は出て行くか残るか、捨てるか直すかしかない。新米ノマドの彼女を追った約1年間は、現社会システムと個人の人生が限界に来てじわじわと終わりに向かうような、安楽死を迫られるような、終わりの始まりみたいだった。
クロエ・ジャオ『ザ・ライダー』もカウボーイの精神風土や固定された男性性が終焉に向かう挽歌で、共通点が色々と多い。ファーンはよく鼻歌歌ってるけど、『ザ・ライダー』でロデオライダーの妹も歌わずにいられなかった。もちろんどちらも乗り物映画だ。馬もヴァンも1人乗り。ファーンが愛車をsheと呼ぶところからして、基本的に連れ沿う男はもういらないんだろう。それがあのデヴィッド・ストラザーンであろうとも。
貸し倉庫の管理人とやけに丁寧にハグするものだと思ったが、ノマド同士は別れを告げないのだ。遠くで聴こえた花火が翌年彼女の手にあるのは、手向ける相手がどこかにいるから。もはや約束の地などどこにもなく、代わりにあるのはゆるやかな連帯。開拓者でなく先駆者という名のヴァンで現代のホーボーはそれを目指す。
殆どが実名の非俳優、その中で演じるフランシス・マクドーナンドは風景に溶け込んで生活しながら、人々と景色を見つめ、リアクションを見せる。微笑む口元の皺、静かな頷き、どっしりした下半身の安定感、乾いた風に膨らむワンピース。クロエ・ジャオは編集も手掛けてて、余韻を早々に切り上げるようなタイミングが良かった。The Smithsからシェイクスピアまで路上は詩と共に。
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