蛇らい

ノマドランドの蛇らいのレビュー・感想・評価

ノマドランド(2020年製作の映画)
3.6
ドキュメント調に過去と現在が語られ、あらゆる選択肢、現状、可能性について示唆される。

誰かと一緒に暮らすこと、定職に就くこと、自然に身を委ねる生き方、放浪生活、コミュニティへの参加、心を開くこと、自分をなくすこと。本来隠れてしまっている人間の様々な可能性を、是非の偏りのないよう観客へ提示する。

そこから、表立ったドラマは起こらず、監督の誘導も抑制された構成に丸投げされてしまった印象を持ちかねない。ここで、この映画は一体何に収斂されているのかを考える。それは、自由意志によってすべての物事が創られていることへの讃歌ではなかろうか。

もっといい条件の職があるだとか、助け合って暮らそうとか、わざわざ苦しい生活をしなくても社会の制度を利用すればいい云々と、辛そうに見える人に投げかけられる、一見正論じみた意見が世界には蔓延している。

合理的、整然さに従うならそれが正解であるが、主人公は決して迎合しない。その姿に自分の心が、魂が豊かでいられることこそ、人間が身を置くべき環境だと省みる。金銭的、社会的な貧しさに身を置く人々の中にも、幸せの中に本物の豊かさを求める意思決定の元、選択される人生があることの気づきをくれる。


作品評価と別に、アカデミー賞をはじめ、近年のノミネートや受賞作品の選定が、より湾曲したものになりつつあることの懸念を示しておきたい。アジア系など有色人種の監督や女性監督がノミネート、受賞した際に、「以前よりも多くの人種、女性監督作品や、国の作品が増えてきたのは喜ばしい」という論調に異議を唱えたい。

賞を獲るべき素晴らしい作品にも関わらず、人種や性別の違いにより、選定される機会を逃すのは改めるべきだが、多様性に基づいて様々な人種や性別の監督作を必ずしもねじ込まなければならないわけでは決してない。

素晴らしい作品だけを純粋に選定するためなら、極端な話、白人の作品だらけの年があってもいいし、有色人種の作品だらけの年があってもいい。受賞する性別、人種の数のバランスを取るというのが1番おかしな結論で、賞の価値をも揺るがしかねない。

今回の有力作品である本作のクロエ・ジャオは、女性で、有色人種ではあるが、実力、将来性共に有望な本物の映画作家なので、問題はない。しかし今後、明らかに他の作品より劣る作品が有色人種であるから、女性監督であるからという理由で、持ち上げられ受賞させられるケースも出てくるかもしれない。それらの選定基準でノミネートや受賞をした映画人や俳優にとって、その結果は喜ばしいことなのか疑問だ。
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