切なかった。
家族が集まる日。
あたたかな気持ちも、各々が抱える問題も、ひとつところにひしめく日。
特に、徒歩で全財産を運ぶつもりだった人が印象的かなあと思う。
たぶん、どこにいても「ここに居ちゃいけない」と感じて、窒息しそうな程苦しいんだろう。自分はここに居ることを許されていない、という、本人にとっては確かな感覚。
これはあながち思い違いとも断言しづらいことは、作中の家族の態度を見ていても理解できる。
100%病気だよ、入院させよう、という言葉は、彼女にとっても自分たちにとっても、回復する為に必要だという考えから出てくるものだろう。だけれど、彼女にとっては「やっぱり一緒には居られないと思われている。自分が病院に居れば彼らは楽なんだな」と感じるものでもある。
家族みんなお金がないと言う場面もあるけれど、それを抜きにしたって「入院費で苦しめたり、責められたりするかもしれない」という不安もついてまわるだろう。
不安材料がある限り、病院ですら回復値には限界がある。不安だと、どんなに横たわっていようが心が休まらないので。心が休まらないと、頭も休まらない。
そういう意味では、彼女の兄が「家族団結して向き合おう」という案は、かなり頼もしい。内容によるけれど。
そして、他の家族は、そういう姿勢が更に彼女を追い詰めないか心配だったりするかもしれない。
映画を撮りたい人は、なかなか困った人だけれど、彼も彼なりに上手くいかないことばかりで、息苦しく過ごしているんだろう。
売れない映画撮って、女は取っ替え引っ替えして、車はまともに運転できねえ。そういう目で見られていたり、そう思ってることを隠しもしない態度で接されることは、相当心が擦り減るんじゃないかと想像する。
みんなに欠陥品として見られている自覚がある者同士。その共通点を持つが故に数ヶ月間、彼女と共に過ごせたのかもしれない。
恋人さんは、家族の一員になる気がないなら、なるべく早く距離を取った方がいいかもしれないけれど。家族や他者(路駐を注意した人とか)に対する姿は、近い未来自分に向けられる姿だから。
既に家族なので逃れられずにいるのが、まだ若い娘さんだったり、もっと幼い兄弟だったりする。
大人が怒鳴り合う現場に居合わせるのって、精神も脳そのものも損傷することがわかっていたりする。虐待と同じくらいの被害と言う人もいる。
恋人の家に行くから、私はこの家を出る。そう娘さんが言うのも頷けることで、彼女は穴だらけの心で他者を大切にしようと踏ん張っているし、嫌なものは誰に何と言われようと拒否する強さも持っている。それだけで、既に娘さんもいっぱいいっぱいだ。
幼い兄弟くんは、強く優しい彼女が側にいてくれるからこそ、凌げる瞬間があるだろうと思う。
大人もいっぱいいっぱいだが、同じようにいっぱいいっぱいである子どもたちがケア要員として動く様子を見るのは、本当に苦しい。
兄弟くんの父は、しっかりしているように見えるけれど、彼の質問は詰問に感じられたり、神経質に正論で畳み掛けてきたりする。そういうところは、相手を息苦しくさせることも多いかもしれない。
彼が詰めれば詰める程、相手は空気を求めて暴れるし、空気をあげようとする人も出てくる。そうやっていつまで甘やかす、と言う気持ちもわかるけれど、そんなに追い詰めたら更なる悲劇に突っ走ってしまうかもしれない。カメラは売りたくないから、腎臓を売ろう、とか。手っ取り早く闇金、とか。最悪、自分で人生を終わらせることだって、ないとは言えまい。
誰かの理想が誰かの苦しみにぶつかって、なかなか目に見える改善策がない。
それでも、ほんの一瞬、この場にいられることを、嬉しく思える。
簡単に解決しない問題だらけの家族だけれど、ふとあたたかな心のやり取りが発生したりする。
頭を抱えたくなる時間の方が遥かに多いけれど、一生分の時間を贅沢に使いながら、これからも各々の立ち位置で踏ん張っていくのかな。