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林檎とポラロイドのbluetokyoのレビュー・感想・評価

林檎とポラロイド(2020年製作の映画)
3.7
うーむ、始まる前から寝てしまった。だから、この映画が面白くなくて寝たのではない。だいぶ疲れているようだ。
もっと単純な映画だったら、途中から見てもわかるのだけど。
この映画は相当、たくらみに満ち満ちている。かなり複雑な映画である。それだけはわかった。
原題はMilaとなっているが、英語だと、Applesである。まあ、リンゴのことで、実際、映画の中でも、主人公が、実に美味しそうにリンゴをシャリシャリと食っている。では、これは、リンゴが大好きというテーマなのだろうか。もちろん、そんなことはない。
Applesではなく、Appleだったらどうだろう。GAFAの一画にして、スマホを世界に広めた巨大IT企業である。
そういえば、この映画には、スマホもデジカメも出てこない。いまある、IT機器がまったくない。もちろん、懐古趣味の映画でも、タイムスリップ的な映画でもない。わざと、であろう。とすると、主人公が美味しそうに食べているのは、スマホなのではないだろうか。
突然、記憶喪失になってしまう。そんな恐ろしい病気の蔓延である。それなのに、映画世界の中の人々は、ずいぶんと長閑である。しまいには、こいつら、本当に記憶喪失なのか疑ってしまうほどだ。なにか、切実感というか、切迫感がないのである。
病気になると、記憶回復プログラムという方法しか治療法はないらしい。それは、段階に応じた課題を体験していく、というものである。主人公もさまざまな体験をこなしていく。途中、女性と知り合うが、その女性も同じプログラムを実践していると知り(彼女の方が段階は早い)、ちょっと、寂しくなる。いや、それどころか、まわり中の人々も、その回復プログラムとやらを実践しているのかもしれない。
イヌが懐いてやってくると、主人公、おお、よしよし、と手を出しかけるが、途中で止めて、イヌを追い払う。やばいやばい、と感じたのだろうか。本当は、記憶を失ってなどいなくて、「体験」回復プログラムの方を受けるのが目的なのかも。記憶喪失になっても、誰も来てくれなかったと女性は言うが、もともと、そんな病気でなくても、誰も来てくれないほど、孤独なのである。主人公もそうなのである。
だからこその、「体験」型記憶回復プログラムなのである。みな、孤独なので、このプログラムが流行っているのかも。
ところが、主人公は、突然、この記憶回復プログラムから降りてしまう。
向かったのは、アンナと名前の刻まれた墓碑である。たぶん、奥さんのだ。奥さんが亡くなっていたのだ。この現実だけは、記憶回復によって、抹消して欲しくない現実だったのだろう。
途中のシーン、主人公が大好きなリンゴを袋に入れている。八百屋にリンゴは記憶にいいらしいね、と言われると、袋のリンゴを出して売場に戻してしまう。これは、IT機器によって、現実の記憶を抹消されないようにするため、なのかな。
それでも、最後は、現実の悲しみに押し潰されたのか、リンゴを食べる。
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