垂直落下式サミング

映画大好きポンポさんの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

映画大好きポンポさん(2021年製作の映画)
3.5
舞台は、映画業界の中心地ニャリウッド。B級映画プロデューサーのポンポさんの付き人として製作アシスタントをしている監督志望の青年が編集の腕を見出だされ、ポンポネットプロデュースらしからぬヒューマンドラマ大作の監督に指名される。一本の映画の撮影、編集、広報、公開までの道のりを描いているアニメ映画。
時系列が頻繁に前後するのは、登場人物たちの回想と劇中で撮影している映画のカットバックがリンクする必然的な入れ子構造ではあるけれど、僕は時間をいじくらず前に前に進んでいくほうがすき。
ポンポさん曰く「目が死んでるとクリエイター向き」の理論はわからんじゃないが、どっちかって言うと、失うことを躊躇わない自分に酔えるやつだけが残っていける世界なんだと思う。知らんけど。
まあ、今さら『シザーハンズ』っぽいクリエイター論をやられても、こちとらエンドロールの途中でDirectorの名前をみる前に席を立つタイプの人間のため、いまいち響かないわけで…。
そんで、ここで語られる映画論にも、僕は納得できなかった。作品が掲げるテーゼ「映画は制作者の鏡で、編集は自分を見つめること」だから他者の胸を打つ芸術足り得るというのに対して、その痛いところをつくようなアンチテーゼが示されないため、ちょっと平べったくて奥行きがなかったと思う。
監督のわがままで追加撮影の資金を捻出する場面は、せっかく映画大好き人間たちの世界から一歩外に出たのだから、綺麗事に逃げずに華々しさの裏にある汚い事をやりきってほしかった。
例えば、「芸術作品として優れていようが稼げなきゃ意味ないよね」とか、「たかが映画に命かけるとかバカじゃないの」みたいな、映画制作への姿勢そのものをリアリスティックな視点から客観視してみると、抽象化されたストーリーが立体的になると思う。
映画の企画が動き出して公開されるまでを描いているのなら、作る人(表現したい)、売る人(稼ぎたい)、みる人(楽しみたい)、この三竦みの立場の違いが重要となってくるのだと思うのだけど、プロダクションのサイフ役であるはずのポンポさんまで、やっぱり映画大好き世界の住人なのは、ちょっと都合がよすぎる。アニメ映画にどこまで求めるかは人それぞれだが、僕は思想的な甘えが気になった。
やっぱ、今のぼくには映画の力をそこまで信じられるほどの気力がないんでしょうね。だって、よく考えてみてくださいよ。たかだか二時間そこら画面の前で座ってただけなのに、人生変わったとか、ものの考え方が豊かになったとか、そんなことあるわけないじゃないですか。書いてて悲しくなるけどさ。
たぶん、『ポンポさん2』では、続編映画のセオリーに則って、前作でしめされた価値観をひっくり返してくれるんだろうと期待している。表現は人に伝わらなければ意味がなくて、映画なんてもんは客から金とってる以上は売り物で、お前らは単なる消費者なんだよと、そのくらいイジワルでもいいんですよ。
本気の創作論には、生半可な救いも優しさも死んだ目もいらない。本気ってのは、自分を消すこと。演芸に、表現に、身を捧げること。個性を消して尚も滲み出てくるもの、或いはその先に生まれてくるのが、真にオリジナル足り得る。それが僕の考える「映画」っていうものだ。
この映画は、決定的に僕と思想が違うタイプ。映画が好き?うっせえ、先ずは地に足つけて生きろ。おまんま食えなきゃハナシにならんのですよ。覚悟なんざあ、売り物にならんのですわ。
ジーン君が削ぎ落としたものは、僕にとっては必要なものだった。僕にはアンタがたの標榜する創作論は信じられない。信じ抜くちからがない。とどのつまり、これに疑いもなく満点をつけられる無邪気な文化系人間のままでいたかったのである。