このレビューはネタバレを含みます
そこそこ期待して行ったらなんか違った。旧三部作と前作を復習しておくべきでした。冒頭は旧2、3色が濃く、徐々に前作のようなド派手アクションになっていく感じ。しかしながら、女は英雄足り得ないのかもしれない、そう思わされてしまった。以下、めっちゃネタバレしてます。
前作の主要人物の1人、フュリオサの半生を前日譚としたもの。彼女はどうしてシタデルで女だてらに大隊長となり得たのか?
前作は家父長制から女性を解放するというフェミニズム的視点が作品全体を占めていた。フュリオサは独裁者イモータン・ジョーの美しい妻たちをウォータンクの底に隠し、緑豊かな彼女の故郷への逃走を企てる。そこに現れた風来坊のマックスと、裏切り者を仕留め損ねた挙句死に損ない、それでも「死んでヴァルハラへ召されて蘇る(彼らの生き様は特攻隊的だ)」ことを夢見るウォーボーイのニュークスが加わり、英雄は故郷に帰還する。彼らと彼らの紡ぐ物語はジョゼフ・キャンベル「千の顔を持つ英雄」で語られる英雄譚をなぞる。あれは完璧な現代の神話だった。
本作フュリオサはどうだったか。女性の扱いは前作同様「(ジョーのために強い子供を)生産する機械」であり、そうでなければ乳を搾られ、家畜同様の扱いを受けている描写がある。緑豊かな地で生まれ育った美しい少女フュリオサは、バイカー集団に攫われ、リーダーのディメンタスの娘として扱われる。この集団内では女は貴重な存在であるようだ。だがそこで彼女が嬲られたり辱めを受けたりすることはない。彼女を探しに来た母親も、忌み物にされることもなく、磔にされ処刑される。遊牧民的なディメンタスのチームはシタデルに辿り着き、そこで豊かな物資を得られるように交渉する。ここでジョーの元に妻候補として迎えられるも、息子の1人リクタスに花嫁の部屋から連れ出され貞操帯を外される。リクタスは明らかにそのような視線を彼女に投げかけていた。だが辛くも逃げ延びたフュリオサは、ウォーボーイやその他の者たちに混じり、輸送係へと上り詰める。
ジョーの花嫁候補になってすぐの段階で彼女はその美しい髪を切るのだが、その後出会った理解者のウォータンク運転手ジャックと二人三脚が始まる頃には髪は長く伸び、どう見ても女性であった。日本の漫画だったら「お前、女だったのか?」イベントになるところはスルーされ、ウォーボーイたちも彼女を運転助手として受け入れる。花嫁候補が1人いなくなったという一大事に誰も疑問を呈さず、リクタスも数回彼女に会っているのに、というかシタデルの中でもフュリオサの存在が知られているはずなのに、女が大隊長となっても誰も何も言わないのである。どうしてこうなった?おかしくない?いっとき逃げ仰るためだけに髪を切り、その後はまた髪を伸ばし、せっかく乗り込んだウォータンクで女バレしたかと思ったらみんな受け入れちゃうの?おかしくない??(2回目)
そしてフュリオサは何故これだけのガバガバ具合のシタデルに潜伏し続けていたのか。それもなんだか釈然としない。ディメンタスに母を目の前で殺された恨み。相棒であったジャックを殺された恨み。それが彼女の生きる原動力であった。本作は復讐譚なのである。だがそれはまるで女は感情的で、理性的に行動する王とはなり得ないとでも見せつけてくるかのようだった。英雄の復讐譚ももちろん存在する。しかしながら本作でフュリオサは英雄に足らないのであった。どうしてかはわからない。彼女の物語は英雄のものというよりも、シンプルに誰かの悲劇なのだ。何かを乗り越える描写があまりにも軽く、不幸というには甘い(甘いというのはこの場合描写を指す。辛い出来事があまりにも軽くしか描写されていない)出来事に見舞われる。
そんなわけで、フュリオサのバックグラウンドがガバガバなせいで、なんだか話についていけず。しかしながら、本作も車(今回はバイクが多い)がアホで良かったです。クリヘムがアホのベンハーすぎる。なにあれ。可愛いくまちゃんに秘められた話もうちょい深掘ってもいいんじゃね。なんかディメンタスはディメンタスで頭が弱いからなにがなんだか。カリスマ性も更にあったヒューマンガス様は偉大だった。でもイモータン・ジョーはもっと偉大だったし家父長制の悪い部分を象徴する最悪のビランだ。あとトーカッターよ永遠に。
あとあのオチ。年がバレますが、椰子の木一本実が2つっていう同世代に通じる(と思う)歌を思い出しました。酷すぎない?
あとエンドロールで前作のいいとこ取りみたいな映像流さないでよなんかしょぼく思えちゃったじゃん。