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Death of Nintendo(原題)
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『Death of Nintendo(原題)』に投稿された感想・評価

[任天堂の死、それは青春の始まり?] 30点

1991年。ピナツボ火山の歴史的噴火を前に余震が相次ぐフィリピンで、主人公の少年パオロを含めた子供たちの最大の関心事は任天堂の新作ゲームである。しかし、地震に起因した停電で毎回セーブが飛んでいき、満足にプレイすら出来ない。"任天堂の死"とはつまり、ゲーム大好きなオタクたちがゲームを使えなくなった時に始まる冒険を意味しているのだ。最新ゲームを買ってもらえるというだけあってパオロはそれなりに裕福なのだが、その分過保護な母親からの干渉も多くあって抑圧されており、早く大人になろうとする一つのゴールとして割礼を目指すことになる。割礼と火山噴火が重なるシーンは爆笑必至。

とはいえ、ボンボンのオタクたちなので外に出たってやることもなく、思いつくことの規模もショボいのが難点。特に割礼に行く前の75分は学校のマドンナと肝試しに行くという展開を引っ張り続けるのだが、これが思いの外退屈で、割礼や火山噴火と悪い方向に作用しあって全体的に味気ない印象を与えている。誤解を恐れずに言ってみると、TIFFのユース部門とかでやってそうなイメージ(私の中でTIFFユースは絶望的に合わないか非常に面白いかどっちか)。

露店で買うコーラが夏祭りとかで金魚入れるみたいな袋に入ってるのが最高に意味不明で爆笑した。もうそれしか覚えとらん。
豚肉丸

豚肉丸の感想・評価

3.0
ファミコンで遊ぶ少年達が色んなイベントを経験し、大人になっていくお話

タイトルに「任天堂」と入っているがファミコン要素は思いの外少ない。ゲーム画面やファミコン本体は出てくるし時々効果音がマリオのSEになったりするのだが、物語にはあまり絡んでこない。でも物語のテーマ的にファミコンは結構重要な立ち位置なので、タイトル詐欺とはまた違う。確かに「任天堂の死」ではあった...

言ってしまえば『mid90s』のような雰囲気の映画だった。90年代のフィリピンの空気感がしっかりと漂っており、無い記憶を思い出して無い懐かしさに浸れるような...そんな感じの映画。
しかし、日常のシーンが映画の半分以上を占めているせいでちょっと退屈でもある。クラスで人気の女子と肝試しに行くという映画内でも重要なイベントがあるのだが、いくらなんでもそのイベントに時間を割きすぎているような気がする。80分程度に纏まっていたらもっと面白くなったのかな...と少し残念。
でも、終盤の割礼からはなかなか面白い。ここからようやく「大人になる」という映画のテーマが見え始め、物語もテンポも盛り上がってくる。そして、変な演出も効いてくる。割礼と同時に火山が噴火する演出は馬鹿げていて良かった。

多分中盤がもうちょっと短くなって80分ぐらいになっていたらもっと面白かっただろうな...とは思う。序盤終盤が良かっただけに、中盤ダレたのが残念だな。
でも、90年代のノスタルジックに浸る作品は数あれど、フィリピンが舞台のこの系統の映画は初めて見たから新鮮味を感じられた。
CHEBUNBUN

CHEBUNBUNの感想・評価

2.0
【任天堂の死、それは冒険のはじまり】
フィリピンで『Death of Nintendo』という作品が作られた。「任天堂の死」。なんてアグレッシブなタイトルだろう。しかも監督があのラヤ・マーティンと聞く。ラヤ・マーティンといえば、『A Short Film About the Indio Nacional』がカイエ・デュ・シネマ年間ベストに選出されたことで有名だ。また、ホームビデオの質感で5時間物語る『NOW SHOWING』の監督でもある。そんなフィリピンのアート映画監督が任天堂でどんな映画を作ったのかというと、ゆるーい子ども映画であった。

少年はファミコンの山をかき分け、スーパーマリオブラザーズ3をセット。ゲーム開始だ。テレサのステージ、タイムリミット迫る。部屋が揺れる。急かされているようにクリアを目指すがプッツン電源が切れてしまう。地震による停電でゲームは中断されるのだ。本作は、フィリピンのボンボンのゲーム生活を描いたゆるいドラマだ。ファミコンで友人とゼルダの伝説などをプレイするが、地震や家族に邪魔されてしまう。それを回避しながら遊ぶ姿は、ファミコン世代にとってもといゲームっ子にとっては少し懐かしさを覚えるかもしれない。

一方で、少年の無邪気な日々に力点を置いているので、映画としてはグダグダである。てっきり、停電でゲームができないから冒険に出る話かと思ったら、プールやファストフード店、広場で遊んだり、恋愛をする狭い範囲の物語であり、女の子と肝試しする展開に70分以上かけるのは正直、停滞しすぎではと思う。『NOW SHOWING』のスローな作劇を踏まえたら、『Death of Nintendo』は3時間ぐらいあってもいいのではと思ってしまう。割礼に行く後半20分のぶっ飛び具合が面白いため、なおさらだ。

さて、本作は思いの外退屈な映画であるが、演出として面白いところがある。それはマリオとゼルダの効果音が演出として使われている点である。例えば、少年たちがエロ本でマスターベーションする場面。なんとマリオがコインブロックを連続して頭突きする音を重ねてくるのだ。これは、日本公開できないなと感じつつも、本作の中で一番面白かった。また、メガドライブの登場で、少年たちの成長を物語らせる演出はゲームファンにとっては熱いものを感じた。