このレビューはネタバレを含みます
「相手と向き合えない弱さ」について、この映画は描いているのかなと思う。
家福が音の浮気現場を目撃して、何も言わず家を立ち去る時、私は「何でやねん」とつい思った。絶対禍根が残るだろ、と。自分は出来るだけその場で主張するにしようと思った。
ただ客観的に見ているとそう思ったけど、いざ自分のこととなると咄嗟にどうにも出来ない時はありますよね。
家福は、音の本音を聞く次のチャンスも逃してしまう。音から話があると切り出された日、夫婦の関係性が変わってしまうのを恐れて、長いこと寄り道して帰った家福。その晩に音は亡くなってしまった。
この映画のすごいのは、家福が逃げ続けたことを責めるでもなく、切り捨てるでもなく、その苦しみを背負って生きていこうね、と寄り添っていることかな。「その苦しみこそ人生」みたいな…人間関係から逃げたことある人にはジーンと来ますね。
ワーニャ伯父さん読んどいた方が浸れそうかなと思いました。
【後記】
最後のシーンは何を指しているのか?と思い色々調べていたら書いてあったこと。
・最後のシーンでは、みさきの顔の傷も消えてるらしい。
・韓国人夫妻は帰国し、家福とみさきは家福の韓国公演に行ってるんのではないか。
・みさきが韓国人夫妻の犬を任されたのは、みさきと夫妻に交流が生まれた証拠。家福が仲を取り持ったから、家福はコミュニケーションのハブになり、みさきは人と交流が持てるようになり、それぞれが新しいステージに移行したということを表している。ワーニャ伯父さんは「苦しいまま生きる」だったが、それより希望に満ちたエンディングだったのではないか。