拘泥

ドライブ・マイ・カーの拘泥のレビュー・感想・評価

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
4.4
後半鬱陶しいくらい俺俺言うけど濱口の映画について書くにはどうしても俺と言う語を書かざるを得ない。それは許してください。

音。魚でもウナギでもないヤツメウナギ(そこかしこの陰茎を喰らう)=ヴァギナ・デンタータは、ファルスから言葉を吸い出す。流石に口伝の男、濱口。それが神秘だったのは、どんな陰茎達も別の方向を見つめ続けたからだ。全ての孤独はただ単に孤独である。女に預けて誤魔化すな。俺も家福ではない。
点眼による人工的な涙。コントロールできてしまう人間はチェーホフに身を晒すことを恐れる。
勿論コントロールはしてるつもりでしかない。だってこいつは弱いんだから。だから頑なに運転する。君の運転が嫌いなのではなくて、自身の運転しない全てが恐ろしい。恐ろしくとも手渡せる相手だったんだよ。愛してはいたんだ。しかし強制力と威勢によって運転することを譲る。その運転は、上手い。そんなイベントが世の中にあるらしい。いや、俺にも一度あったと言えばあった。
火の場で見つけた対極の雪、その郷愁を拒絶する傷。いつしか空間の中の語りかけに移行する。会話が始まる。音は姿を消す。そうして溶けてゆく。濱口らしい後半のライブ感が始まる。
岡田将生の胡散臭さいいね。正面の顔。他人を知るには自分を見つめる事からと、空っぽであるはずの高槻の言葉がここで芯を喰い得るのは、全幅に音の言葉を継いだ事に依る。こいつは『ハッピーアワー』の鵜飼に少し似ている。怪人的だ。

んで、雪そのものに出会った。真っ白な世界が街の中だった。でも、確かに、そこにいたのは二人だったよな。
濱ちゃんよ〜〜俺にどうしろって言うんだよ、なあ。濱ちゃんにしちゃ威力低めだなと思ってたら最後にとんでもねえモンぶん投げやがってよ。俺と同じ弱さの人間なんてそれこそ濱口てめえぐらいにしか出会えてねえんだよこの野郎。
『PASSION』のトモヤにまあまあ食らったんだが、いや、それでも遠かった。それこそトモヤは絶対東大野郎だったから。
で、家福には殺された。「僕は正しく傷つくべきだった。本当をやり過ごしていた。」「怒鳴りつけ責め立てたい。」「謝りたい、強くなかったことを。」という告白に泣かない人生ではない。あの幼い頃から強くなる以外の方法を何一つ知り得なかった癖に結局弱いままの自分の事なんて誰より知っている俺は、もう心臓貫かれて死ぬしかない。取り返しがつかないんだよ。人生は失われた、もう取り返しがつかない。過去は何もなく過ぎ去った。死以外なら取り返しがつくのか?家福は、俺は、上手くやる方法をばかり身につけてしまった。だが、上手くやる必要なんてないと、ただ読めと、直視以外の何もいらないと、奴は自分で言っていた。どうやるんだ、どうやんだよそれは。傷付き方なんて忘れたんだよ。微塵も傷付かなかった心で頭ん中のあらゆる象徴をぶち込んだホン必死に書いちまうくらい下手くそだよ。回避だけ上げちまって防御が高くなってない事は分かってんだよ。回避をどうやって下げんだよ。俺の言葉しか知らねえんだよ。他の言葉がねえんだよ。ぶつかり合うのにどんな言語を使えばいいんだよ。手話の運動は、この世のどこにあるんだよ。この映画において濱口は、チェーホフを以て、耐えろと言った。これは実は全然ピンときてねえんだ。日の本の耐える物語なんてったらそりゃお前、仮面ライダーとか宮沢賢治とか大量にあるけど、「おれは一人の修羅なのだ」は、どう処断されるべきだ!?弱いだなんてまだ言えねえよ俺は。分かっちゃいるけど言えねえ〜〜〜の!そんで濱口は言って言って言いまくれ!!
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