マツタヤ

サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイスのマツタヤのレビュー・感想・評価

3.5
クソまずいコーヒーもたまには飲みたい。
いや、美味しいのがそりゃ飲みたいんだけど、違いのわかる大人ではない俺は違いのわかる男でお馴染みのネスカフェゴールドブレンド(ダバダ〜♪)では勿論なく川で死んでた魚が入ってた味のするよな不味いやつでいいんだ。いやそんなのあっても飲みたくはないんだけどでも上質の味というものが実はピンと来ないことが多いお子様なんで、実際先に言ったような最低最悪を味わうことで普通との違いが判ってようやく、あぁいつもの普通ってこんなに美味しいんだなぁってわかる始末なので自分。

いやしかし本作の主人公でもあるサン・ラーは決してそのような経験則に基づいた物事の判断基準をまっこうから否定するはずだ。彼の率いるアーケストラ(オーケストラではない、箱船のarkとの造語であるのだ!)のメンバーの指導には山盛りの暗喩が用いられたらしく、「水や風の感触で奏でろ」、「陽ざしの暖かさを表現しろ」あるいは「その楽器で溝を掘りなさい」といったものだった。ある日にはサン・ラーにこうも言われたという。「君が"知らないこと"のすべてを演奏してくれたまえ。君は自分の"知らないこと"に驚くだろう。君の"知らないこと"というのは無限大なのさ」(てなもんやSUN RA伝より引用)。
最後の「~なのさ」がまさしく、音楽は演奏するぞ作曲するぞと意気込むのではなく、音楽は湧き出る、出会う、生きていくうちに自然と発生していくものなのさ~とでもいわんばかり。だから美味しいコーヒーを飲めばいいのにさ〜って言ってくれるはずなんです。

この映画はそんなサン・ラーと、それに連行される宇宙人にしか見えないアーケストラの面々が、動きそして演奏する映像が見られる非常に貴重な映画であり、かつストーリーは土星からやってきた大音楽家の名に恥じないまっこうからのSF映画になっていてビックリだ。
音楽を演奏する事で燃料となる謎の宇宙船(目だまのおやじが二つ重なったみたいな)で、地球の黒人達を救うべく理想の惑星に移送させるために地球に来たサン・ラー。しかしマフィアみたいな怖いオジさんやFBIが行く手を阻み途中、ピアノ演奏でのバトルや変なカードゲームでうつつを抜かしつつ、度重なる妨害により最終的に目的を達成せぬまま、また宇宙に帰っていくサン・ラー。映画の世界でも現実の世界でも結局は正体が不明なままのサン・ラーなのであった、完。

ここでそんなサン・ラーの人となりに少しでも触れてもらうためにも映画では語られていない先のSUN RA伝からの一コマをお伝えしたい。
「1960年代中頃のこと。あるミュージシャンがニューヨークを訪れた。知り合いからサン・ラーを訪ねるとよいと言われた。サン・ラーはその男を歓待してくれた。同居しているアーケストラの面々とのセッションにも参加させてもらった。夜遅くまで音楽を語り合った。主にしゃべったのはサン・ラーだった。ではこの部屋で休みたまえとサン・ラーがベッドを提供してくれた。男はすぐに眠りについた。シュッシュッシュッと規則正しい何かを擦る音が男の耳に入ってきた。夢だろうかと思いながら目が醒めた。シュッシュッシュッシュッ。暗闇の中で音は続く。シュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッ。男の寝ている部屋の中でその音は立っていた。シュッシュッシュッシュッシュッシュッ。男のすぐ近くから聞こえる。男は小さな恐怖を感じて、枕元の電気をつけた。薄明りの中にサン・ラーがいた。箒をもって床を掃いていた。サン・ラーが掃くのを止めた。ゆっくりと背を伸ばし直立すると、サン・ラーは男に背を向けて箒を持って無言で部屋を出て行った。サン・ラーは全裸だった。」
往年の和田ラヂヲの一コマのようなこのエピソードはサン・ラーの初期の名曲Fate In A Pleasant Moodを聴きながら読むと不思議とハイハットのシュッシュって音がサン・ラーのはく箒に聞こえてくる不思議🧹

そういえば映画を見て久々に宇宙テクノジャズとして名高いサン・ラーの「Disco 3000」を聞きたくなって数年前に購入したデジタルリマスター版の最新音源をi-tunesに取り込んでいたら、曲名が「トラック1」とかなってオイオイ、Disco 3000だぜ天下のAppleさん、曲名がヒットしないってどないなっとんじゃい!って正月早々衝撃受けてたら単に家のPCが年末に変えた5G環境で接続変わってwi-fiつながってなくてネットから曲名がダウンロードできてないだけだった、すみませんサン・ラー先生。

フルートはスペースルート、エレキピアノはソーラーピアノと呼んでいたサン・ラー。さしずめ俺は今宵、インスタントならぬインターギャラクティックコーヒーを飲みながら余韻にでも浸る2022年幕開け的な初日(サン)の出🌞
マツタヤ

マツタヤ