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労働者たち、農民たち
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『労働者たち、農民たち』に投稿された感想・評価

後の慰めようもないものとか影たちの対話とかみたく山中の景色やそこで台詞を発する人たちの映像は美しいのだけど、やはりこの手の映画に2時間ってのは結構眠気や集中力の面でキツい……。

こういう作品は長くても1時間が限界だろう。
ジャン=マリー・ストローブ&ダニエル・ユイレ監督作品。
イタリアで終戦直後の混乱の中、行き場を失った労働者、農民達の苦難が描かれた作品。

人物がたんたんと朗読をする。画面に動きがなく、文章を読み上げ、文章の中だけストーリーが進む。映像が動かないので、延々とした長さを感じる。

台本を手に取るシーンを入れたり、独特なパンをしているのが面白かった。
山中の360度パンが良い。
3.0
【映画日記:アテネ・フランセでストローブ=ユイレを観てきた話】
『労働者たち、農民たち』『あの彼らの出会い』『ジャン・ブリカールの道程』まとめてのレビューです。

先日、夜勤明けでアテネ・フランセ文化センターへ足を運んだ。お目当てはストローブ=ユイレ『あの彼らの出会い』である。ストローブ=ユイレはハイコンテクスト過ぎていまだに全く歯が立たない監督である。『セザンヌ』こそ面白かったものの、それ以外は、特に長編になると苦行を強いられる。だが、カイエ・デュ・シネマベストの作品をすべて観ようとしている私にとって『あの彼らの出会い』は外せない作品であった。本作は円盤こそ出ているものの、現在は廃盤となっており、たまにメルカリで販売されるも数万円で取引される。だが、そこまで払って観たいかと訊かれたら微妙だ。絶対に刺さらないと思っているからだ。アテネ・フランセでは定期的にストローブ=ユイレの作品が上映される。本作は数年ごとにアテネ・フランセでやっているイメージがあったので待っていた。そして時が来た。今回は「映画の授業 現代映画編」のプログラムでの上映となった。この日はストローブ=ユイレ集中講座となっており、『労働者たち、農民たち』『あの彼らの出会い』『ジャン・ブリカールの道程』の3本が上映された。

1時間ぐらい前に来て並んでいたのだが、いつもと雰囲気が異なることに気づかされる。やたらと学生が多かったのだ。アテネ・フランセ文化センターは、シネマヴェーラ同様に老人シネフィルが多い印象がある。故にかXではあまりポストされていないものの、いつもチケット販売30分前には階段まで長蛇の列ができている。だが、この日は違った。大学のレポートなのだろうか、レポートでストローブ=ユイレは厳ついなと思いながら劇場へ入った。

1本目は『労働者たち、農民たち』である。本作はエリオ・ヴィットリーニ「メッシーナの女たち」第44章から第47章を映画化した作品であり、戦中難民が行きつく村を舞台に労働者と農民の対立が描かれている。映画はゆっくりパンしながら自然を捉えていく。まるでASMRさながらの心地よい音が劇場を包み込む。やがて、森の中で棒立ちになっている男女がテクストを読み上げていく。正直、読み上げられたテクストは全く頭に入って来ない。だが、構造の映画として興味深く観ることはできる。

労働者と農民の対立を表現するように、読み手たちを2つの群にわける。切り返しでもって対立を煽りながら、2つの群を統合するイメージでもって融和を表現しているように思える。また、YouTube動画を作っている身としては、整音が超絶技巧である。一回性の自然音がシームレスに繋がっているのだ。

今回の上映でまとめてストローブ=ユイレを観ると自然音/テクスト/演技の3点を軸に映画における時間とは何かを掘り下げているように思える。『あの彼らの出会い』でも同様に自然の中で演者がテクストを読む。こちらは台本を持っておらず、絵画の中の世界のようにカメラを意識しない眼差しでもってパヴェーゼの神話的対話詩篇「レウコとの対話」を表現している。こちらは5つのパートにわかれており、神話における形而上の側面を強調するように最初のパートでは演者が背中を向けている。顔を映したら、紙の存在が一意に定まってしまう様を回避しようとしている部分に惹き込まれる。

どちらの作品も、既に編まれた過去を役者たちが呼び出す。その行為こそは厳密には一回性の振る舞いであろう。そこに自然の音が挿入されるので、その瞬間は1度しかない。しかし、編集でもって完成した映画は反復性のあるものとなっている。これはテクストを読む行為によって過去が反復される様を映画という位相にズラす試みといえる。映画はテクストにはない、音とイメージを取り込むことができるため、テクストを積分した世界を提示しているといえよう。

そして最後に観た『ジャン・ブリカールの道程』は、テクストに頼らずイメージでもって砂質採取事業の責任者ジャン・ブリカールの歴史を紐解く。まず、2度に渡る反復でボートの移動が映し出される。この移動は現実の時間同様に連続的なものであるのだが、2度目に感じる時間は、恐らく開始時間を後ろ倒しにしているのだろうけれどもかなり短く感じる。反復によって人が感じる時間の短さを通じて歴史とは時間を圧縮する行為であることを強調しているように思える。映画はコトン島を巡りながら、ジャン・ブリカールの人生を説明していく。目の前に映っている風景は当然ながら過去のものなのだが、ジャン・ブリカールの時間はさらに過去のものとなる。フランス語は過去に関する時制が複雑なのだが、その文化が映画の理論にも反映されているのかなと思いながら鑑賞した。

結局のところ夜勤明けで観たこともあり、少しウトウトしてしまったし映画の内容自体はよくわからずストローブ=ユイレの難しさに打ちのめされたのだが、それでもこのコンビが作るASMR的世界観は動画制作のインスピレーション掻き立てられるものとなった。