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オートクチュールのnetfilmsのレビュー・感想・評価

オートクチュール(2021年製作の映画)
4.1
 普段、フランス最高峰の美しいモードを動かして来たはずの老婆が、どうして路上で奏でる少女のギターの調べに足を止めてしまったのかはあの滑らかな指先の動きに魅了されたわけだが、別の意図もあったろう。だが彼女のそんな気持ちを嘲笑うように、ストリートではしばしば富裕層が貧困層の格好の餌食となる。バッグの中には当然、エステル(ナタリー・バイ)にとって肌身離さず持っていなければならない大切な何かが入っていたはずだが、それよりも何よりも彼女は窃盗が最初から少女の犯行だと確信してやまない。禍々しい不幸を運んだ少女に対し、エステルが取った行動は我々の想像を遥かに超えるような優しい施しだった。70年以上にも及ぶ歴史を誇り、世界中の女性たちを魅了してきたクリスチャン・ディオールの専属クチュリエ―ル(縫製士)が衣装監修した物語は、出会うはずのなかった二人の女性を高貴な美で結びつけることとなる。職業柄、人の表情と同じくらい人間の「手」に注目してしまうエステルはジャド(リナ・クードリ)の手を見た瞬間、彼女の隠れた才能を見抜くのだ。フランスの美の名門で数十年に渡り務め上げ、今ようやく引退の時を迎えようとしたエステルの慧眼というか、おそらく女性としての直感が彼女を美の階段へと導くのだが、貧困層で育った移民の少女は不幸にも、この世界の外部からの愛情を知らないのだ。

 「分断」が叫ばれて久しいこの世界で、エステルとジャドの間には容易に超えることの出来ない壁がある。世代、人種、経済格差、そしてその格差が生み出す憎悪と偏見。ダルデンヌ兄弟がその膿を徹底的に見つめ、ミヒャエル・ハネケならそのあまりにも醜悪な憎悪を巧みに露悪的に描いただろうが、今作では女性が女性を見つめ、時に針子の師匠として、時に彼女の母親のように振舞いながら、少女を正しい方向へと導こうとする。今作は社会的な女性のレイヤーの違いを巧みに捉えた実に真っ当な映画だ。エステルのその見返りを求めない姿勢こそは称賛されるべきだが、同時に彼女の職場での態度は度を越した厳しさも宿している。当然、ジャドがエステルの薫陶を受けるためには己の乱れ切った生活を見直さねばならず、その上昼夜問わず、寝る間も惜しんで縫製の仕事に向き合う他ない。家族を見捨てた父親の代わりに、鬱病の母親を看病し続けたジャドにはこれまで未来に対して何の明確な目標も生きる目的も自己実現の方法すら見つけられなかったはずで、突如降って湧いたようなこの「シンデレラ・ストーリー」は宝くじが当たったかのような奇跡のような出来事だと思う向きもあるだろう。然しながらエステルも歪な彼女の姿の裏に彼女自身の激動の半生を見つめるのだ。ディオールの仕事を完璧にこなすために、犠牲にしてしまった何かへの贖罪の気持ちが思わず滲み出す。

 中盤、エステルが自宅の階段で骨折したあたりから突如、語りは不明瞭になる。そこで起きているのは事件として絶対に描くべき映画の断片ながら、シルヴィー・オハヨンの筆致は急に朧気でとりとめがなくなる。もっと言うと映画の結論を焦り過ぎたきらいもあるかもしれない。ぼんやりとした語り口は観客を困惑させるものの、代わりにここにはスポットライトを浴びたヒロインに嫉妬する3人の女性の姿がくっきりと描かれている。アンドレの嫉妬はエステルの寵愛から外れたことへの苛立ちにも見え、母ミュミュと親友のスアドの姿は遠くなる背中をただ茫然と見つめるだけだ。しばしば芸術の世界に見られるある種の「傲慢さ」や「不平等さ」がここにはくっきりと克明に描かれている。
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