デニロ

異邦人 デジタル復元版のデニロのレビュー・感想・評価

異邦人 デジタル復元版(1967年製作の映画)
3.0
1968年製作。原作アルベール・カミュ。脚色スーゾ・チェッキ・ダミーコ 、ジョルジュ・コンション、エマニュエル・ロブレー。監督ルキノ・ヴィスコンティ。

今日、ママンが死んだ。そう言いながら、それは昨日だったかもしれない、と言い、葬儀屋に母親の年齢を聞かれ言い淀む。母親の死に顔を見ることも拒み、涙を流すこともなくただただ葬儀が終えて行くことのみを願う。母親を養護院に入れて3年、母親の存在を忘れていたわけでもないが、もはや母親とは別の人生を送っていた。母親が何故養護院で婚約者なるものを持ったのか、何故死に際してキリスト教の儀式を望んでいたのか。儀式を司る司祭の一言一言が鬱陶しい。なぜこんなに太陽は眩しいんだ。分からない。

葬儀を終え、太陽に疲労感を覚えた身体を海に浸し鎮める。職場の元同僚アンナ・カリーナ/マリーと出会い肌を寄せ合いながら泳ぎ、喜劇映画を観ながら笑いあい、夜、彼女を誘いセックスする。幾度も逢瀬を重ねた後、/わたしと結婚したい?/と聞かれたけど、/君がしたければそうしてもいい。どちらでもいい。/重ねて、/わたしを愛している?/と問われても、/多分愛していない。/と答えることしかできない。ハンフリー・ボガートじゃないけれど、そんな先のことに何の意味があるんだ。

一事が万事そんな風な彼はムルソーという青年だ。その彼が殺人を犯してしまう。同じアパートに住む友人に頼まれて、彼のアラブ人のガールフレンドを呼び出す手紙を代筆する。友人は、やって来たガールフレンドをボコボコにしてしまい警察沙汰になるけれど、ムルソーが証言し警告のみで釈放される。それ以降、ガールフレンドの兄たちアラブ人に付きまとわれる。その兄を射殺する。

ここからガラリと物語の様相が変わります。謎のアイテムが沢山出てきます。アラブ人。攻撃的な検事。鬱陶しい教誨師。

逮捕されたムルソーの裁判。検事側の証人として、母親が世話になった養護院の院長、門衛、母の婚約者が登場して、母親の葬儀の際にムルソーが如何に冷淡な態度をとっていたのかを証言する。弁護側の証人は、アパートの友人、マリーらが証言する。マリーが、ムルソーと結婚する予定だと証言すると、婚約の馴れ初めを聞かれ、母親の葬儀の翌日のムルソーとの出会いを話すと、検事は、ムルソーは葬儀の翌日に海水浴をしそこで出会った女性と喜劇映画を観てセックスする男だ、と解釈する。そして、そんなこころ持ちで母親の葬儀をするような男は罪に問われるべきだとかなんとか意味不明の論点に持って行く。なんとしたことか陪審員の心証は検事の話に傾くのです。

法廷での審理の終わりにムルソーは言う。太陽がまぶしかったから。

つかこうへい/熱海殺人事件でこの場面を使っている。
  熊田 「意地悪、と、もんどりうって泣き崩れる乙女。男の胸になぜかしら虚しい風が吹き抜ける。白い砂が目を焼く。目の前は真っ青な海。そして太陽。まぶしい、まぶしい、まぶしい、太陽がまぶしい。けさ、ママンが死んだ!!」
  ハナ子「やった!!」

1980年。平田満の熊田刑事が高揚して叫びまくる。そして、色気たっぷりでキレッキレだった風間杜夫の木村伝兵衛部長刑事が、/このバカたれが。てめえたちは、俺の事件をジャルパックあたりでヨーロッパへ飛ばしてふぬけにしやがって。日活よ。カミュなんてフランス日活よ。/と、下げ落とす。

当時、爆笑ものだったんだけど、今、カミュを読む人はどれほどいるんだろうか。

さて、陪審員が評議して裁判官がその評議に基づき判決を下す。絞首刑。

死刑囚となったムルソーは独房の窓から外の世界を思う。ここで謎の司祭が強引に入り込んできて神の正義だの神の助けだのをムルソーに説くのですけれど、無論ムルソーは神の言葉など受けつけるはずがありません。神や魂などよりわたしが先なのは自明の理で、わたしのなかにわたしがいるんでもないってことは、様々な証人がわたしのことをいろいろ言っていたことで理解した。わたしが思うからいるわたしだけじゃなくて、わたし以外が見るわたしもいるってことなんだ。無感動で、ふしだらで、不道徳で、不信心で、最高の美男子!気狂いピエロ!!それがわたしなのか。分からなくなった。

Morc阿佐ヶ谷 異邦人4Kデジタル修復版 太陽がまぶしすぎたせいで…にて
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