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クライ・マッチョのKuutaのレビュー・感想・評価

クライ・マッチョ(2021年製作の映画)
3.8
イーストウッドが馬に乗ります。焚き火をします。銃を構えます。遺作はこないだ撮ったでしょおじいちゃんと思いつつ、黙って劇場に足を運ぶのがファンというものである。

知人の息子をメキシコからテキサスに運ぶだけのロードムービー。中盤は本筋を外れ(文字通り道を外れる)、アメリカ映画らしい「前に進む」事すら投げ出し、オープンワールドゲーのサブクエをひたすらやっているような展開になる。

・派手なアクションは出来ないし、大半が英語も通じないメキシコのシーン。制約だらけの状況で、ちょっとした表情や体の動きによって感情を表現している。

カフェの女性マルタの機転で保安官をやり過ごしたシーン、謝意を示すようにコーヒーカップを一瞬上げる。少年と出会ったばかりの頃、二人が道を歩く「影」からパンして実像を捉える。嘘を告げる時、顔に半分ずつかかる光と影。真実を告げる夜の礼拝堂では、帽子をさらに下げて暗闇に表情を沈める。

アメリカに居場所を失ったかつてのマッチョは、車を変えながら光と影を何度も往復し、カウボーイという鎧を下ろしていく。最後にベンツを携え、少しだけ誇らしげなその老人は、「境界を越える」というカタルシスすら放棄する。

・元々「映画の嘘」を「現実」っぽく見せることに関心のない人だけど、ロデオシーンの露骨なボディダブルにはちょっと笑ってしまった。さすがにセックスは断るし(91歳やぞ)、多少の窮地では動かない(動けない)。イーストウッドの代わりにドラマの起点になるのはニワトリのマッチョくんだ。

今作、徹底的に「映画的な盛り上がり」を避けている節があり、活劇への期待を外しにかかっているのかな?というメタな考えも浮かぶ。(ノープランで潜入を試み、かつてのキレ味を見せる事なくあっさり捕まる場面は「ランボーラストブラッド」を思い出した)

・決して「集大成」ではないし、完璧な完成度とは言い難いが、「撮られるべき映画」だったというのが私の評価だ。

例えば「グラン・トリノ」では今まで演じたキャラクターを総括し、「運び屋」では自身の働き方を顧みた。いずれも真面目すぎるほど孤独でストイックな傑作だが、この2作の主人公には与えられなかった救いが、今作で描かれる温かな連帯にあるように思えた。「クライマッチョ」がある事で、過去作の見え方も変わりそうだ。

・こういう作りの映画である以上、画面の全てがイーストウッドの遺言であると、目を皿にして見ざるを得ない。中盤、「また会えるよね?」という決定的な問いに、彼は返事をしない。それは寂しすぎるよと思っていたら、ラストシーンのあのセリフ。なんかもう、イーストウッド好きで良かったなと思った。77点。
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