かなり悪いオヤジ

クライ・マッチョのかなり悪いオヤジのレビュー・感想・評価

クライ・マッチョ(2021年製作の映画)
2.5
ヨボヨボである。白人は老け込むのが早いと言われているけれど、往年のダーティ・ハリーの白髪も半分抜け落ち、身体中シワとシミだらけ、腰はグニャリと曲がっていて、歩くのもやっとこといった有り様だ。元ロデオ・スターのマイクを取り巻くメヒコの皆さんも、イーストウッドの超スローな動きと台詞回しに合わせるように、普段よりワン・テンポいなツー・テンポ位おさえ気味の演技を強いられているのが、傍目から観ても明らかなのである。

『グラン・トリノ』『運び屋』そして本作と、イーストウッドがカメラの前にさらし続けているシワシワの老体は、まぎれもなく衰退著しい“アメリカ白人社会”のメタファーなのであろう。そこにクリント・イーストウッドの俳優人生が重ねられているせいか、夕焼けに染まった黄昏時の荒野のように映像は一瞬美しく光輝くのであるが、本作においては、磨き忘れたいぶし銀のごとくその輝きも限定的だ。

「マッチョは過大評価されすぎだ。人はすべての答えを知った気になるが、老いと共に、無知な自分を知る。気づいた時には手遅れなんだ」今やフェミニズムが席巻しているハリウッドの風向きに合わせたわけでもなかろうが、マチズモを体現してきたアクション・スターの“悔恨”とも受けとれるこの発言には、ダーティハリーと同じ世代に生きた我々はいささかガッカリさせられるのである。

つまりこうもあっさりと言動を翻されると、まがりなりにも手厳しい時代を生きぬいてきた私たち男の何十年という歳月が、まるで全否定されているような気になるのである。これからのアメリカは白人や黒人に代わって、メヒコの皆さんを中心とするヒスパニックの時代になることは何となく予想できるのだが、無駄とはわかっていながらも、その流れにあえて抵抗する姿をイーストウッドには見せてもらいたかった気がするのである。

要するに、本作のイーストウッドはあまりにもあっさりと世の無常を受け入れ過ぎているのだ。ルイス・ブニュエルは不条理の象徴として“雄鶏”を使っていたが、イーストウッドはその名前のとおり“マッチョ”のアレゴリーとして雄鶏を登場させている。普段は大人しくしているのに、教会や食堂のベンチで眠りこけているマイクをたたき起こすため時折思い出したような雄叫びをあげるマッチョ。その“CRY”は本人も思い出せないほど遠い昔から響いてきた叫び声だったのかもしれない。