にゃーめん

ボーはおそれているのにゃーめんのレビュー・感想・評価

ボーはおそれている(2023年製作の映画)
3.5
「実家に帰省する」この言葉に、ワクワクする側と、ゲンナリする側、どちらによるのかでこの作品への理解度が変わると思う。

私はゲンナリする側。

ボウほど酷くはないけれど、毒母に人生を抑圧された幼少期〜青年期を過ごしたので、いい歳になっても「帰省」という言葉に強い抵抗感があり、1年に1回の帰省ですら毎回心底億劫で、コロナ禍に帰省しなくても許された頃は安堵したほどだ。

本作は精神年齢が子供の時のままで止まっている50歳近い中年男性が実家に帰省する話。

シネフィルのレビューで4幕構成だということだけは知っておいた方が良いと聞いていたこともあり、3時間の上映時間は気にならなかった。

1幕目は「んなことあるかい!」の連続で、あまりの不条理さと、ブラックジョークに笑い

2幕目では、重症のボウに過剰に親切にしてくる夫婦と同居人の不穏さに何が起こるのかとハラハラしながら見守り

3幕目で、ボウが世間一般でいう"普通"の人生を送れていたらどうだったかのifの世界を見せられ

4幕目での実家でのネタバラシに唖然とし、モヤモヤしながらエンドロールを迎えた。

4幕構成中で、目を引いたのは子離れできない親と、その親という鎖に人生を囚われ続ける子供という関係性を「水」のモチーフで表現している点。

母親の羊水から産まれる序盤、絶対に水と一緒に服用しないといけない薬、バスタブから溢れる水、外科医の妻から「たくさん水を飲んで」と言われて渡されるコップ、ifの物語での水害、ラストの湖(?)

結局人間は「水」がないと生きていけないように、親子の関係は切り離せないものだということか。

アリ・アスター監督自身の私的な体験が反映されているとしたら、監督のメンタルが非常に不安になる内容なので、しっかりカウンセリングを受けてほしいと心底思ってしまうが、どうやらセラピスト自体への不信感もあるようで、ただただ心配になってしまった。

父親不在で、強権的な母親から抑圧されて育ったボウが、立派なオジさんになっても主体性を持つことができず、ママに全部決めてもらわないと自分では何一つ決められない。

そんな主体性ゼロの主人公があらゆる酷い目にあっても一切成長せず、最初から最後まで"理不尽な目に遭い続ける可哀想な僕ちゃん(子供オジさん)"のままであるという点が、鑑賞後全くすっきりしない原因かと思う。

アリ・アスター監督が今作のような、極めて私的な話を映画化できたのは、「ヘレディタリー」「ミッドサマー」の成功あっての事だとは思うが、エンタメとして本作を消費していいものか、悩んでしまった。

ボウと同じように、いわゆる幼少期に母親から受けたトラウマによって精神的に"去勢"され、社会に可視化されない弱者男性は現実に大勢いるはずで、その当事者はこの作品をどう感じるのか。

「帰省」がいまだにしんどい私も、ボウと同じで、いまだ母親から受けたトラウマを引きずり、精神的に成熟できていない"子供おばさん"なのかもしれない。
にゃーめん

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