「全部を見ようとするより世界は半分隠して見る程度がちょうどいい」
Xで話題になっていたので、鑑賞。
「ゲゲゲの鬼太郎」自体には特に思い入れがないが、学生の頃、京極夏彦の妖怪シリーズにどっぷり浸かっていた自分にはたまらないテーマ(因習村、一族の跡目問題、復員兵等)の作品であった。
鬼太郎のアニメシリーズを観ていなくても全く問題ない脚本で、PG12指定にしたことで、大人向けの作りになっていたことが今回の異例のヒットの要因かと思う。
偶然にも、「ゴジラ -1.0」と同様に太平洋戦争の生き残りである、水木が主人公である事が、物語に厚みを増している。
戦争で自らの命を軽んじられ玉砕覚悟の戦闘を強いられ搾取される側の水木が、戦後はサラリーマンとして今度は会社に搾取されているという設定で、同じように搾取される側のゲゲ郎と出会うという話の筋が面白い。
映画における、"煙草"の演出には毎回着目しているが、今作におけるゲゲ郎との心の距離を表す、"煙草"の演出は抜群であった。
(実写映画では、「ドライブ・マイ・カー」の煙草の演出がたまらなくよかった。)
ゲゲ郎と水木が出会った当初、水木の煙草をねだるゲゲ郎に水木は煙草をあげようとはしないが、中盤に心が通い出すと、回し煙草をする程の仲になるという演出に胸を鷲掴みにされてしまった…。
ゲゲ郎と出会い、「見える」側になった水木が、搾取する側として金や女に囲まれる物質主義より大切なものに気付いた後半の展開は、沸るものがあった。
人間に搾取されるマイノリティ側であるゲゲ郎が、搾取されてもなお人間を守ろうとしたのは妻と水木の存在があり、鬼太郎に夢のある未来を託したかったというラストには感極まってしまった。
東京タワーが出来、それよりもはるかに高い高いスカイツリーが出来、妖怪が「見えなくなってしまった」現代は、水木やゲゲ郎が思い描いていた夢のある未来だろうか。
いまだ、片目を「半分隠して見る程度がちょうどいい」悲惨な未来になってはしないだろうか。
「ゲゲゲの鬼太郎」という国民的アニメの前日譚を描くことで、戦争を語り継いだ今作を高く評価したい。