ホウ・シャオシェンが自らの映画を語ることは、己の記憶、そして台湾映画の歴史を語ることでもある。アサイヤスは謙虚なインタビュアーのように編集されているけど、対作家という状況におけるまなざしの熱は全編にみなぎっている。ときどきカメラの存在が暴露される(ホウ・シャオシェンがいたずらっぽく顔を接近させる、店にいる関係ない男の人が二度ほど居心地悪そうにチラ見する、カラオケにて過去作品の出演者が撮られることを恥ずかしがる)瞬間があるのがたまらない。あの少ない引用の場面だけでも『悲情城市』がめちゃくちゃ観たくなった。