ニューランド

In Gefahr und größter Not bringt der Mittelweg den Tod(原題)のニューランドのレビュー・感想・評価

3.4
☑️『危急の際に中道は死』及び『定めなき女の日々』▶️▶️
クルーゲの映画が、ある程度華々しく初めて上映されたのは、40数年前だったか。当時「青年ドイツフィルム」とか呼ばれてたグループの新橋での上映会でだった。メインのヘルツォク、蓮実さん御用達ヴェンダース、岩淵さん肩入れのファスビンダーの中心三羽烏の、先駆者·運動の理論と実践のリーダーとされ、最も気難しい批評家連にも、最高評価だった。
当方は、少し後の上映まで括ると、同世代シュレンドルフ等に比べると、格段に優れてるし、人気のヴェンダース·ジーバーベルグ等よりも上かもと思いつつ、陶酔感の甘さを退けてる渇きや·もっともらしい格調への拒否が、軟派としてはちと取っつきにくかった。今世紀になってこの作家は観てないなと急に思い付く。チケット限定で万が一のこともと、彼を初めて本邦紹介した『定めなき~』とセットで観る事に。ところが、『定めなき~』は最後の1枚、本作は残り3枚となってた。この人気はと知り合いに聞くと、渋谷さん人気だそうだ。媒体も、16ミリからデジタルへ(『定め~』は随分綺麗になっていた)、訳も岩淵さんから渋谷さんへ変わってる。
2作は隣作同士で、低予算、ライティングなんかも視界が暗いとポイントに手持ちスポットライト等、極めてお手軽、スイスイとロケ中心に撮り上げてて、そのスピード、機を逃さない書き上げ力、それが生命線のような作品だ。顔のアップと広角め鋭く危ういカットらがメイン。人物もとても映画主人公とは思えぬ、みみっちく·こすい、堂々とした西洋映画内足る自負は欠片もない。人物やカメラが、移動してても、作業してても、関係しあってても、多くのカットは現実のある場のある瞬間を捉えた断片の鋭さ·緊張感·生の現実問題点を、只飾りなく著すものなので、デクパージュ感ははたらかない(どんでん、アップ寄り等、刻み延々時も)。ナレーションや過去のスチル並べで、経緯は説明されるけれど、眼前の現実の不安定さの方が突き刺してくる。早急にいま動いてる歪みそのままの空気を捉え、見せかけの作劇レールにはめ込み、一層明らかにストリップティーズさせてゆく事。クラシックからポピュラー迄いかにも西欧的音楽流れ、パン·OL·時にジャンプカットもと、何かイージーが隙間なさに。「頭脳よりも環境」が決定要因としてく。
只、2本は微妙にスタンスの違いをみせる。1本は、歪み典型もあり得るも·極端な立ち位置に置いて、極限ギリギリすり抜けるコミカルさで、社会自体の歪みを描いてく。拘り抜く前にあっさり別シチュエーションにスライドしてく。展開のフィクショナルでストーリーとしてもイージーで危ういをそのまま拡げて仕掛けも俎上にあげていかんとするタッチ。もうひとつは、そういったキャラの立脚点を更に極端·ハラハラより馬鹿馬鹿しさに笑える所に留め置いて、現実にいま眼前で起こり進行してる、大きな動かせぬ巨大な不法を絡め、寧ろキャラらの安易さが過る事で、印象·手触りのメインにそれを持ってきていている、より即時性。描写の軽みを削いで、重くしっかりめの、謂わば正攻法·本道のタッチになって、対象の主客転倒を成し遂げている。
1本目の「定めなき~」。家庭保持の為に、違法·惨めも気にせず堕胎医に友人と精出す女。そのお蔭で働かず、社会学の勉強·大きな舞台へ·の道に勤しめてるオンブ夫。男としての権威振りまき、理不尽神経質に口煩い。重症患者を紹介してやってる上位の医師や、同業女医とのトラブルでチクられ捜査の手がはいるも、こういう悪事すり抜けでは好タッグの夫妻。しかし、仕事の続行は無理。夜警の仕事で夫が働き出す。が間もなく、その工場が閉鎖へ。が、それは海外移転の口実と、フリーで「社会·政治に関心持ってきた」妻はウキウキ過剰に動きだす。証拠を押さえて、工場は継続なるも、その代償で夫解雇に。
2本目「~中道~」。フランクフルトに潜伏の女性東ドイツのスパイは、大々的な現地報告提出指令に、形式だけの事なのに、本人はカメラとペンでと、実際の生活環境·現実の中に入り込んでゆく。面喰らう上司ら。もうひとり、高級街娼。金払い悪い·拒まれる前に、財布を失敬の短絡·効率。彼女らが街に入ってく中で、行政の一方的な横暴の現れに立ち会う。歴史と生活に根ざしたアパートの強制立ち退き、ビル取り壊しの強行、抗議活動過激化やたてこもり、等。全てに半端も否めぬ、社会の衰退。
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