むぎ

クレッシェンド 音楽の架け橋のむぎのレビュー・感想・評価

3.6
まず思ったのは、自分の圧倒的な知識不足。

イスラエル🇮🇱パレスチナ🇵🇸問題、世界史でやったレベルでは全然太刀打ちできないと痛感しました。

フランス留学中に、フランスではよくニュースで出てきていた。出てくるたびにフランスの家族や友達に「あいつらは狂気の沙汰だからな」みたいな言葉で片付けられていたんですね。

世界史の知識と、ヨーロッパでの報道で、ふわっとは知っていたし、現代において現実に起きていることなんだとは思っていた。

ただ、自分と地続きの世界でコレが、今も、本当に起きているんだと感じた時に、本当にゾッとする場面がたくさんありました。

でもそれを感じ、また自分の知識不足を感じただけでも、私にとってはすごく意味がある映画になったし、これからも心のどこかに居座り続ける作品になるだろうなって思う。
(現にその後、三省堂でイスラエルパレスチナの本買って読み始めた📚)

加えて私もVn🎻を弾くので、音楽が挟まると、イスラエル、アラブ、自分で考えてしまった。
冒頭のバッハの3番のシーンは結構胸掴まれた感覚で、あー同じ曲を弾いているのに、部屋の外は全然違うんだなとか。
合宿のシーンでは、音楽を作るってことはやっぱり一緒なんだなとか。
あー使ってるのヘンレ版のスコアなのかとか。

あとは本当なんてことないけど同じこと、例えばSNSへの意識の甘さはどこの若者も同じなんだとか。

そうやって、同じ共通点が見つかれば見つかるほど、違う所が際立って、この怒りの熱量をどうしても理解できない自分の平和ボケ感を痛感したし、全然分かれないことを悔しくも感じた。

子供の世代じゃなく、孫の世代じゃなく、自分が決意して選んで一歩踏み出すから始める、というあの円陣のシーンは、ジーンときました。○○人ではなく、目を合わせて敬意を払った固有名詞になる瞬間から、変わる世界(自分の見えている世界が変わるって意味で)ってあるよなぁって。
○○が住んでいる国って知って思いを馳せるところから平和って始まるんだろうなぁって。

だからこそ、最後の最後の結末はやっぱりこうなってしまうのかという一種の脱力感を感じずにはいられなかったけど、これがそのまま現実世界に送り出してくれるメッセージなのかなとも思いました。

空港のシーン、やっぱり音楽のすごさを感じたし、マエストロがいない中で音楽を作っている姿にバトンが託されたということも感じたし、壁を挟んでもちゃんと相手を思いやれるということを体現していて、じーんときました。

そして、きっと私に限らずオケ人は、
あのロンがリズムを打ち始めた時点で、
「あ、ラヴェルのボレロだな」と思ったと思うのですが、
ボレロは、というか、総じて「音楽」は、
イスラエルと、アラブと、そして自分との共通言語なんだということを感じましたし、
それと同時に、あのスクリーンの世界が自分が生きている世界と地続きで、本当に今起きていることなんだと感じて、苦しくもあり、切なくもあり。

もっと知りたいと思いました。

すごく考えさせられる映画。

見てよかった。




と、ここまででいいかなと思ったのですが、
「じゃあなんで点数低いんだ」という理由と一応書いておきます。

どうしても作品としてマイナスに映ってしまったのは2点。

①ふたりの恋愛からのあの結末
恋愛までは分かるけど、その後の結末で一気にズレた感がどうしても。。
「ユダヤめ!」ってレイラがシーラに石投げるところとか、
「ん?コレと、シーラがユダヤなの関係なくない?」と思ってしまった。
あれなのかな、、ナチの時の「ユダヤの女性は男性をたぶらかす」的な言われって、まだ万国共通で、時代を超えてもだからなのかな、、その辺の背景があるなら分からなくもないんだけど、、、。。
なんか勿体なかった。。

②オケ的な描写が絶妙に雑
オケを普段やっているが故に、いろいろ引っ掛かる所があって(いやいや何人で新世界やるんだとか、その席変わったら貴方パートまで代わりますよね?とか、マエストロそこ一拍目じゃないっす!とか)、そういう所が、いやいや主題はそこじゃないからと思いつつ、引っかかってしまった。
他がリアルなのであれば、そういうところのリアルさは妥協してほしくなかったなぁ、、
(技術は仕方ないにしても、オケ的な常識は抑えていてほしかったなぁ、、)
逆に他の所のリアリティをなんとなく疑ってしまった。。(疑ってしまうほど私に知識がないということでもあるんだけど)
むぎ

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