三樹夫

シン・仮面ライダーの三樹夫のレビュー・感想・評価

シン・仮面ライダー(2023年製作の映画)
3.2
映画自体は劇場で観ていたが、最近やっとNHKのドキュメンタリーを観たのでそれ込みでのレビュー。NHKのドキュメンタリーはこの映画の主にアクション場面の撮影にフォーカスしていたが観終わると、庵野秀明の監督としての力量に疑問がつき、アク監に同情し、池松壮亮の好感度が上がるという、なんで上映中にこれが放送されたのか、興行収入の上昇にも貢献はしないだろうという謎のドキュメンタリーで、庵野秀明を告発するためのものかと邪推してしまうほどであった。

この映画を観た時、アクションがなんかとっ散らかってるけどなんでなんだろと思っていたら(特に一番最後のVSチョウオーグ )、ドキュメンタリーを観たら答え合わせができた。この映画で庵野秀明が求めたアクションとは、段取りに見えない殺気溢れるアクション+自分が初代ライダーを見た時の感動を再現したいというオタク的な個人的なフェティシズムだ。段取りに見えない殺気溢れるアクションというコンセプトは全然良い、そういったコンセプトのアクションを作りたいというのも全員で共有した。ただし問題はそこからで、どうすれば段取りに見えない殺気溢れるアクションになるかという具体的な指示はなく(こういったアングルやカット割り、演技、編集が必要といった指示)、スタッフや役者とのコミュニケーションも碌にないという地獄絵図が広がっていた。自身の中に具体的なアイディアが無いが、スタッフにアイディアを出してもらいそれをインスピレーションとして具体化していくやり方はある。ただそれをやりたいのならあのコミュニケーションの放棄っぷりはない。コミュニケーションが苦手って以前の問題で、そもそもコミュニケーションをとることを放棄している。シンゴジあたりから庵野秀明は権威主義なのでは?と言われることがあったが、ドキュメンタリーを観ていると、監督=絶対的な存在、なにもせずふんぞり返っててもこちらの真意を読み取ってスタッフがアイディアを献上するのは当然と思ってんじゃないのというのと、アクション部と役者のことを見下してないかという、権威主義の嫌なムーブをかましているように見えた。
クリエイティブの分野においてもこのような姿勢は当然と思ってはいけない。具体的な指示もなくコミュニケーションも取らないっていうのなら、じゃあお前何するんだよってな話で監督なんていらないし、名前だけ貸して広告塔だけやっとけってなる。他の映画のメイキング観てればちゃんと具体的な指示出してたり、実写でもコンテ描いてる人がいる中で、あのやり方は単純に庵野秀明がダメなだけ。さすがにアク監が切れてもう辞めるってなったら、泣きそうになりながら謝ったとかもダサすぎ。つーかまんまDV夫しぐさ。
ただし庵野秀明一人の責任というよりかは、周り(ファンも含めて)が庵野を神格化させてしまった結果のようにも思う。ゴミムーブかました時点でいい加減にしろと言うことが必要だったように思った。ドキュメンタリーには身体だけ大きくなり年を取った子供が自分勝手に喚いているという醜悪な姿が映し出されていた。仮面ライダー作ってる人が、これがドラマの中なら仮面ライダーにどつかれるような醜悪な振る舞いしちゃいかんでしょ。リアルな醜悪さを持った怪人に監督がなるってどんなメタ構造。
ただし池松壮亮の好感度は爆上げで、アクション部への労りを担ったり(OKが出た時にスタントマンとハイタッチしたり)、アクションでも俺に気にせず当てちゃってくださいと言ったりなど、好青年っぷりが出ていた。

ルリ子と共に研究施設を脱出した本郷猛がそれぞれの幸福論を持つオーグと戦っていくのだが、それぞのオーグの持つ幸福論が、設定上各々違った幸福論を持っているというあくまで設定以上の意味を持たない表面的な幸福論で、挙句チョウオーグがまたエヴァみたいなことほざきだしたと取ってつけたような印象がある上に、そもそも公安のお使いで戦っている感があるので観ていて高まるものがない。全52話の物語をダイジェストにしたみたいな映画になっている。
冒頭の戦闘員と戦う時はやたら血が飛び出し景気が良いなと思っていたらゴアアクションはほぼ冒頭のみという、このアクションのテイストの不統一感は何の意図かと観ていた時は思っていたが、ドキュメンタリーを観た後だとただ単に制作の混乱のためとしか思えない。
Sustainable Happiness Organization with Computational Knowledge Embedded Remodelingという令和のMOGERA。観てる最中MOGERAって何の略だったかずっと考えてしまった。
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