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サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)のnetfilmsのレビュー・感想・評価

3.9
 1969年夏にもう一つのウッドストックがあったという驚きの史実を21世紀の今、立ち昇らせる歴史的映画である。ハーレムからほど近いだだっ広い空き地で行われた無料ライブに駆け付けた黒人たちの大群は、公民権運動に勝利しながらもアイデンティティを確立出来ずにいた黒人たちの存在感をこれでもかと見せつける。だが黒人たちがかの地に集められたもう一つの魂胆は「暴動を起こさせない」ことだった。監督を任されたのはTHE ROOTSのドラマーであり、玄人集団ソウルクエリアンズのメンバーとしても知られるクエストラブで、ドラマーとして共演したミュージシャンは非常に多い。彼は50年もの間、地下に眠っていた1本45分~60分の長さの手付かずのテープを47巻も確認し、ブラック・ミュージック史に燦然と輝くアーティストたちの屋外での活気溢れる演奏の様子を118分にしたためた。だが映画はとあるフェスティヴァルのダイジェスト映像ではなく、黒人たちの歴史を色鮮やかに現在に蘇らせる。ステージの上で行われる奇跡のような名演と共に開示されるのは、ステージから見た客席の観客たち一人一人の表情である。マスターが劣化し、全体的に赤じゃけた映像の中で映し出されるのは、年齢問わず、老いも若きもステージの上に釘付けとなるあの日の黒人たちの満ち足りた表情ばかりなのだ。  

 スティーヴィー・ワンダーは『トーキング・ブック』から『キー・オブ・ライフ』に及ぶ奇跡のような作品群を作る少し前の転換点のライブだし、ザ・フィフス・ディメンションやグラディス・ナイト&ザ・ピップスのような21世紀の黒人音楽史の中ではあまり話題に上らないアーティストの過去と現在の姿(ビリー・デイビスJr.とマリリン・マックーのおしどり夫婦だけだが)にかなりの時間を割いているのが印象的だ。中でもスライ&ザ・ファミリー・ストーンは4枚目の『スタンド!』を発表した直後でフェス始まって以来の人気を見せる。客席はこの時だけ寿司詰め状態で、今にも将棋倒しで死者が出るような勢いだ。個人的に一番刺さったのは、レイ・バレットやモンゴ・サンタマリアらラテン・サルサ系ミュージシャンが黒人に混じり、この歴史的コンサートに参加していたことだ。黒人の中に混じるプエルトリカンやヒスパニック系の熱気がこの5年後にはDISCOに伝播し、10年後には初期のHIP HOPの文化を作る。モンゴ・サンタマリアの『watermelon man』なんて当時は新主流派の筆頭格だったハービー・ハンコックのカヴァーだった。しかもレイ・バレットのサンタマリアの打力の癖の違いを語るのはプリンスの元カノのシーラ・Eだからソウル・ファンはニヤリとしてしまう。

 クエストラブの演出は多少頭でっかちでドキュメンタリーとしての冷静な采配が出来ているとは言い難い。白人は月面軟着陸にしか興味がなかったと言い放つものの、今にして思えば69年という年は黒人だけでなく白人にとっても重要でエポック・メイキングな年だった。こうして幻のハーレム・カルチュラル・フェスティバルは50年を経過してようやく陽の目を浴びるが、だからと言ってウッドストックの狂乱が色褪せることもない。69年はジョージ・ロイ・ヒルの『明日に向かって撃て!』やエイブラハム・ポロンスキーの『夕陽に向かって走れ』を発表し、いよいよ本格的に「アメリカン・ニュー・シネマ」が始まった記念碑的な年だったはずだ。とはいえクエストラブが現在抱える「Black Lives Matter」への言いようもない怒りは十分に理解出来るし、当時のニューヨーク市長の狙いはこのようなブラック・ミュージック・フェスティヴァルを容認することで鬱屈する黒人たちを娯楽に走らせ、巧妙に暴動を回避する狙いがあったのは明らかだ。ラストのスティーヴィー・ワンダーの当時の強烈な皮肉もビンタを浴びせられるように強力だが、後半いきなり何の前触れもなく登場するニーナ・シモンのアジテーションに震えが来るほどの衝撃を受けた。今は亡き天才のその等身大のしゃがれた歌声は、「Black Lives Matter」の只中にいる21世紀の黒人たちを今なお鼓舞し続けるかのようだ。
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