Jun潤

ニトラム/NITRAMのJun潤のレビュー・感想・評価

ニトラム/NITRAM(2021年製作の映画)
3.9
2022.03.30

予告を見て気になった作品。
2021年度オーストラリア映画テレビ芸術アカデミー賞にて作品賞含む8部門を受賞。
1996年オーストラリア・タスマニア島のポート・アーサーで起きた「ポート・アーサー事件」を描くクライム作品。
注)「実際の事件を基に」という点だけ把握して事件の概要については鑑賞後に調べることを“強く”オススメします。

タスマニア島で両親と共に暮らす、知的障害をもつ青年のマーティン、通称“ニトラム”。
彼は近隣住民を顧みず花火を打ち上げたり、芝刈りの押し売りをしたり、乗りもしないサーフィングッズを買い集めたり、落ち着きがなかったりと幼稚な行動が目立つ。
両親は共に放任しており、母親は金だけ与え、父親は銀行に融資を取り継ぎ湖畔のコテージを購入しようとしていた。
そんなある日、ニトラムは郊外の豪邸で一人暮らしをする老年の女性・ヘレンと出会う。
ヘレンは芝刈りもできないニトラムに犬の散歩を頼んだり家のピアノを一緒に弾くなど世話を始めた。
ヘレンに与えられた金と車で豪遊するニトラム、彼らはアメリカへの旅行を計画していたが、ニトラムの運転妨害によって事故を起こし、ヘレンは亡くなってしまう。
そして、ニトラムによって平和な日常は狂気と血の海に変貌するー。

はああ!長かった!!(いい意味で)
時間の割にあっという間に感じるほどスピード感のある作品も好きですが、こういういつどう終わるのか分からず、いつまでも続くのではないかと緊張しっぱなしの作品も好きですね。
上述の通り事件を基にしていることだけ把握して概要を全く知らなかったので、どんな事件が起きるのかハラハラしながら観ていたこともあるかもしれませんが。

個人的に特に推していきたいポイントは、「音」です。
動物の鳴き声や車の駆動音、雑踏などの生活音の数々が妙にやかましく、それがヘレンの家でかき鳴らされるクラシックと合わさることで脳を撫で回されるような不快感の完成。
そしてそんな音が常にあるものだから突然訪れる沈黙がまあ怖い。

あと今作単体でも感じ取れますが、同日に観た『ベルファスト』と合わせると奇妙なリンクが二つほど。
それは「人間讃歌」と「親」です。

まず「人間讃歌」については、『ベルファスト』の方が不安定な世間から見た子供の成長を描くことで順接的な人間讃歌となっていましたが、今作においては平穏な世間からニトラムという不安定な人間を描くことで“逆説的”人間讃歌となっていたこと。
まさに「人の振り見て我が振り直せ」。

そして「親」については、『ベルファスト』の方でバディを包み込む周囲の目と強い親の存在が描かれていましたが、今作のニトラムの両親、そしてヘレンについてはまさに共依存の関係。
自由や金を与え過ぎたことで、与えられた分他人に与えようとするのも間違えてしまう、放任され他者から律せられないことで自律もできなくなってしまう。

「ポート・アーサー事件」は間違いなくニトラムが起こした殺人事件ですが、平穏に見えて実は歪んでいた日常の中に、ニトラムを律することができるポイントがあったのではないか、これはニトラムの周囲も共犯者である“人災”ではないのか。
事件の概要を見ると決してそうではないのですが、ニトラムという1人の人間を丁寧に描写していたことでそんな思考にも行き着いてしまいました。

そしてこのニトラムという人間の描き方がこの上なく粋、粋すぎていやらしい。
決して共感性のあるキャラクターではないのに、ニトラムの目線に沿って物語が進んでいくものだから自分もニトラムになってしまったかのような錯覚に陥る。

ようやく観終えたーと一息つこうとしたらエンドロール前にこれまた胸糞の悪いクレジットが。
銃社会ではない日本にいると想像もできませんが、事件まで整備されていなかった銃規制法、その法律も形骸化し事件当時よりも銃の数は増えているということ。
コロナやウクライナ情勢など、不安定な世の中ですが、そうでなくても、こんな凄惨な事件は二度と起きてほしくない、そう切に願うばかりです。
Jun潤

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