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パリ13区のotomisanのレビュー・感想・評価

パリ13区(2021年製作の映画)
4.1
 エミリーの「とりあえずセックス」とのあけすけな言、白地があったら黒く塗っちまえ風なのはいけ好かない感じだがあとから笑わされた。その言葉自体もそうなんだろうが、思ったことを明から様に言葉で吐き出してしまう天性なんだろう。
 頭が良くて口八丁だがそうした要領の悪さで相手への軽侮、怒り、妬みの念が軽々と、しかも嫌味や穿ちを激しい気性の勢いでたんと絡めてぶつけてしまう。それで心を晴らすほどに他者から遠ざけられざるを得ない。だから、例えば転職を期にどうでもいい相手とその時限りでしか付き合えず、それも直に壊してしまうだろう。さもなくば、似た者同士で斟酌し合うか、とりあえずセックスを修飾する実況アナウンスにでも捌け口を求めようか。
 カミーユとの夜、昨日までのエミリーを知らないけれど、生意気エミリーが軽口エミリーでセックス絶好調なら、そりゃあ似た者同士らしいカミーユは運命の男かも知れない。電話オペからウエイトレスへ少し生身の人に近づいてステップ軽く笑顔になった恋する女は「愛」の対象が日替わり、時間貸しに過ぎなくても昨日より少しかわいく見える。しかし、夜毎恋の実存を認証しなければならないなら何れ男用の貞操帯も要りようになるだろう。
 それで入った罅に「後悔するぞ」と繰り出してエミリーの二大標語はチャイナ・マフィアの宣戦布告と思ったが、どうやら不安な気持ちの裏返しプラスそれでも待ってる、自分は口もあっちも名器なんだから、私を鳴らすのはあんただけの念だろう。それがどうやらその通りらしいからこの二人の関係は、ソフトのパッケージ写真にも載る程に一種喜劇である。あのワンショットからではさっぱり分からないが。

 こんな関係の一方でエミリーを出港したつもりの探求者カミーユは母港たる身内にも嫌われながら次の係留地を求めてやまず、黒髪を白髪に隠蔽する女、その黒髪の下に埋まった本心の整理に手束ねつしていると思われる、元義理の伯父の愛人、三十路を行く政治学徒、一目ひとたびで相手を読み取る気質のカミーユとは不整合なノーラに入港を拒否される。その前には同僚のステファニーにも追っ払われていわば人生敗け続けだが、負けてでも次の勝負に向かわずば建て直しが利かない。
 エミリー似なこの漂流気質の男がノーラにとっての何たるかは尋ねようもないが、長年培い遂に切れた伯父との関係の変奏に過ぎないのだろう。伯父とのそれをどう清算したか話題になるかと思えば華人系エミリーの出自が逐次なるほどと紹介されるのと対照的になにも出てこない。
 なにもないのかと思ったら実は、ノーラにとって鏡の中のもう一人の自分、アンバー・スィートにだけ打ち明けていた。生々しく現れるエミリー大陸から海原遥か先、孤独な海山の頭のようなノーラがプレートの移動の末のようにアンバー島に向かって幼少期からの写真一枚一枚を繙きつつ接近してゆく。しかもその間には通信技術と匿名のヴェールを介在させ、最期はどのように偽り通して海没しようか思案が止まない風でもある。
 この二人の深海に根を張った同士のような地道で遠巻きな付き合いが成就への第一歩を迎える劇的なさまに一種の芝居風景を覚えてしまう。つまり、「音羽屋」「大和屋」といった掛け声が飛びそうな場面という事である。あれを突飛な趣向と片付けても驚くばかりでもならず、試しにも一度劇場にどうぞというところだ。

 こうした二大海山の邂逅をよそに浮薄気なふたりは何をしてただろう。カミーユはセックスをとりあえず控えて母港との関係を修復してもう一度エミリー丸に接舷するようだが、次に追い出されるあとの戻り先は確保できてるらしい。
 実家と言えば、カミーユはすでに母親をエミリーはこのとき祖母を喪い、祖母に疎隔を感じ偽りを浴びせて来たエミリーがその胸中に広がりつつある家族という空白をカミーユで満たしていけるのか、異邦人同士、男の求婚の言葉の電話越しなのがただの照れに過ぎないように呑み込めたことだろう。

 ところで、アンバーのセックス営業パートは多色刷りという。ビジネスには色も身も入れなくちゃというのか?その作り物っぽさが階調一本筋な2人×2なこの世界に怪しい別世界を映じてくれる。あれが誰かの突破口かと思ったらアンバーが流れ込んでくる結果となった。白髪頭を脱ぎ捨てた公園の段に添える色も思いつくまい。
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