れーちゃん

わたしは最悪。のれーちゃんのレビュー・感想・評価

わたしは最悪。(2021年製作の映画)
3.8
何者でもない、でも何者かになりたい。
そして自由に生きたい。そんな医学生のユリアは、なんか違う。なんか合わない。を理由に心理学者、カメラマンとどんどん自分の道を転向していく。

カメラマンで撮影していた被写体の男と関係を持つも、一緒に行ったパーティで出会った著名人で年上の漫画家の男アクセルに惹かれ、被写体の男はそっちのけで彼にのめり込んでいく。
アクセルは安定した生活を送り、メディアからも注目されており、ユリアを大切にしながらも家庭を求める男だった。
アクセルと長く過ごすうちに、何者でもなく何者にもなれないユリアは彼に対し劣等感を抱き始め、パーティを抜け出し1人ふらふらと街へ行く。
そこでたまたま入ったパーティでアイヴィンという男に出会う。
お互いの匂いを嗅ぎ合い、秘密を打ち明けあい、タバコの煙を交換し合う、そんな対等で平等な関係になるが「これは浮気ではない」と断言し、お互いは別れる。
でも彼のことが気になるし、人生に満足できていないことへの小さな不満を募らせたユリアは自分の自由を求め、自称「最悪な人間」への道を加速させていく。

『フローズンタイム』のようにユリアとアイヴィン以外の時が止まってしまう空想シーンは、キラキラと輝く素敵なシーンに見えて、自分さえ良ければ良いといわんばかりの表現だったり、彼もまた自分がないアイヴィンとの平等な関係を求めるが故に、ずっと一緒にいたアクセルとも別れ話の後に身体の関係を持ち、満足した後で「また戻るかも。わからないけど」と言い放ちさっさと出ていってしまう有り様。

ユリアのように20代後半から30代前半にかけて、何者かになりたい。でもなれない。何者かになったら自由は無くなってしまうし。。と、葛藤を抱く人間が多い。

ユリアは自分のことが第一で常に自分が上にいたいし、満足できない女なのである。
その例として、自分の書いた性に対するコラムでも「自分が相手を勃たせること」に満足を感じていたり、そのコラムの価値がわからないアイヴィンには「いつまでもコーヒー提供してないで何者かになりなさいよ」というようなことを吐き捨てる。自分も永遠に本を提供する書店店員にもかかわらず。。

ユリアが何かを投げ出したい時、何かの始まりや終わりなど、話のターニングポイントとなる場面ではユリアがタバコを吸うシーンが映し出されていたことも印象的だった。
喫煙してはいけない状況なはずでも、平気でタバコを吸うなど最後までとことん自分ファーストなのだから。。

でも、人間ってそんなものなのかな。とも思えた。
長々とした作品だったけれど、そんな当たり前の日常のなかで起きる色んな出来事や出会いが自分を構成していく。
ユリアとわたしとでは性格が真逆なので、ストーリーには共感できなかったけれど、その世界観はとても好きだった。

『わたしは最悪。』というタイトルは主人公のユリアが自分のことを最低な人間とわかっているよ、それでも自由に生きさせてと言う綺麗事であった。
(個人的には「世界で一番最悪な人間」とそのままのタイトルにしてほしかった。)
れーちゃん

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