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最後の決闘裁判のkmtnのネタバレレビュー・内容・結末

最後の決闘裁判(2021年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

中世フランスにて実際に起きた、強姦に端を発する事件。
ちなみにリドリー・スコットの監督作品としてはかなり低調だったそうで、その結果についてリドリー・スコットは「スマホばっかり見てる今の観客には理解できねえ!」的な啖呵を切っている。


誰もが思うであろう「羅生門」的な脚本。
同じ話を三者の視点から繰り返すということもそうだし、何より強姦という犯罪が事件の中心であることもそうだろう。
但し、羅生門で黒澤明が伝えたかったことは「人間への希望」であるが、本作ではやはりフェミニズム的な方向で語られるべき作品だろう。


中世キリスト教的な歪んだ倫理観や疑似科学とでもいうべき思想の数々。
特に「妊娠はエクスタシーを感じていないとしない。つまりル・グリとの行為をマルグリットは本当は楽しんでいたのではないか?」という裁判での問答は、
現在でもレイプ被害者側が「露出度の高い服装で実は誘っていた」だとかの、セカンドレイプなどとほぼ同じような論法で、とんでもが極まっていた。


マルグリットは、男性側二人の視点からだと主張も少なく何を考えているか、計りかねるような描写がなされているが、
第三幕のマルグリット側からの視点で物語を見ると、如何に彼女が抑圧され、その権利を蹂躙されていたかが分かる様になっている。
男性側からのマルグリットは、こうであって欲しい彼らの理想とするステレオタイプな女性像で、賢く、お喋りではなく一歩引いて歩く様な人。
しかし現実のマルグリットは必ずしもそうではない。夫に意見をするし、他人をハンサムだと評したりもする。人間なのだから当たり前に、そう言う面もある。
最終的に決闘にて殺し合う二人は、どちらも己の男性的なプライドの為だけに戦っているようにしか見えなくて(実際そうなんだろうけど)、決闘シーンはどちらにも思い入れし辛い仕様になっている。


更に観ていて辛いのが、女性側からのマルグリットへの非難が多々あるということである。
ジャンの母に友人。
彼女らは名誉男性的な立場を取り、被害者であるはずのマルグリットを責める。そしてこれは残念ながらどこかの国でも現在進行形で見られる光景である。
男性からの攻撃も辛いと思うが、本来はその辛さを最も共有できるはずの女性から、男性に肩入れした擁護発言をされるというのは辛すぎる。


全てが終わり、更に数年後にジャンが亡くなったとエンドロールにて記される。
彼女が幸せに生涯を過ごしたとして締め括られるが、実際のところ彼女の感情というのを想像するのは難しい。
ただ一つ言えることは、ジャンの死後(少なくとも映画内では)、マルグリットの誇りを傷つける男はもういない。
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