後入れかやく

クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲の後入れかやくのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

 言わずと知れた最高傑作。クレヨンしんちゃん映画は「非日常→日常→非日常」の構成が基本なんだけど、本作は「大人たちが20世紀博に夢中になっている」という非日常に片足突っ込んだところから始まり、「ただいま」「おかえり」という日常へと帰っていく。これは、大人たちが昔を懐かしみあの頃に戻りたいと思うこと(日常)と、20世紀の「におい」を嗅がされた状態(非日常)というのが地続きになっていて、これらの境界があいまいになっているからなんだと感じた。
 そして、ずっとあの頃のままでいたい、世界を救うヒーローにも何者にでもなれると思えていたあの頃の自分に戻りたい、といくら願ったとして、現実に存在する日常がある限りそこ帰らざるを得ないというところに、非日常から日常へと帰る際の、確かな断絶がある。
 ひろしや大人たちが、希望に満ちていたあの頃から、その断絶を越えて、思うようにいかないこともたくさんあるし絶望もある現実へと帰るというのは、それを越えさせる何かを自らの未来に見ているからである。ゆえに、ひろしの「おれの人生はつまらなくない」という言葉が、ケンというよりも自分に言い聞かせる言葉であるように聞こえて、胸に響く。

 ケンたちの死を止めたしんのすけ「ずるいぞ」という言葉と共に現れる鳩。鳩は塔に巣を作っており、そこでヒナを育てていた。鳩も家族という存在をもって未来を紡いでいる。日本という国の停滞が閉塞感をもたらし、その暗さが希望に満ちていたあの頃を失わせていく。しかし、どれだけ苦難の多いものであっても未来というのは確かに紡がれていく。「ずっとあの頃のままでいる」というのは、自らで、昔あれだけ夢見た未来を捨てるという選択をすることになってしまうのである。