いや~これは非常に苦痛だった。最初にお断りしておきたいのはSnow Manのメンバーに罪はなく、むしろ一生懸命やっているのだけどスタッフがあまりにも突飛な物語に挑戦していて、全体としてはあまりにもわけが分からなくなっている。赤塚不二夫『おそ松くん』及び『おそ松さん』ファンが求めているのはたぶん、Snow Man主演による実写映画ではないし、対するSnow Manファンが求めているのも初めてのSnow Manのメンバーだけ総出演の映画であって、『おそ松さん』の実写映画ではない。その意味で今作の一番の不幸は、Snow Man×『おそ松さん』というドル箱コンテンツ同士を掛け合わせたつもりが結果、誰も求めていない映画になってしまった点にある。当然『おそ松さん』は6つ子の物語で、Snow Manは9人グループだから3人は兄弟になれずにあぶれる形になり、6つ子に敵対するラスボス的な立ち位置にトレースせねばならず(アイドルだから流石にイヤミやチビ太役は他にやって頂く他ない)、もともとはシンプルな登場人物の物語を2次創作的に横軸にどんどんキャラを足して行くと、ある程度突飛な物語に為らざるを得ないのはわかるのだけど、流石にこれはないよなぁという印象だ。
メタ・フィクション的な構造の物語というのは、映画をある程度観尽くした状態の人々に向けて放つから初めて意味が生まれるのであって、Snow Manになけなしの予算を注ぎ込むようなファン層の人はそもそも映画館に毎週通うようなヘヴィー・ユーザーではない。よって映画のような物語構造を見慣れていない人々にメタ・フィクション的な物語を投げ掛けても、ただ意味のない出来事が矢継ぎ早に繰り広げられてわけわからないくらいの感想しか浮かばないだろう。自分が主人公の物語を6者6様に走り出そうとする6つ子たちがいて、彼らは時空を超えて急に生き死にが絡んだアクションを引き起こす。彼らが引き延ばしにしようとする物語を今度は逆にエンド、ピリオド、クローズの3人が強引に終わらせようとする。この物語の引き延ばしと分断の相互の流れが波の満ち潮のように相互に順番に作用するのならある程度すっきりするのだが、おそらく作り手側もどういう順番で編集するのかという主観の部分が未整理かつ、あえてごちゃ混ぜにすることである種のカオス状態を良しとした面も否めない。『おそ松さん』のファンにとってはチョロ松がめめで、一松がふっかなどと言われてもそれを素直に愛せないし、逆にSnow Man初の単独主演映画ならば、『おそ松さん』ではなく、普通に青春群像劇が良かったという思いもある。こういう映画を観ると、普遍的な物語を出来るだけ平易な語り口で綴るディズニーやピクサー映画の偉大さを再認識するばかりだ。アイドルの映画なのだから、誰にでも伝わる普通で良いのだよ。