耶馬英彦

笑いのカイブツの耶馬英彦のレビュー・感想・評価

笑いのカイブツ(2023年製作の映画)
4.0
 以前、飲食店のクレーム対応の仕事をしていたとき、本職のヤクザから客としてのクレームを受けて、話を聞きに自宅を訪問したことがある。相手がヤクザだからといって、余計なバイアスで話を聞くのはよくないから、虚心坦懐に聞くように努めた。
 意外なことに、彼は世間のパラダイムにとらわれることなく、実に公平で平等な立場から論理的に話すので、とても感心した。こちらの立場のこともちゃんと分かっていて、無理難題を押し付けることもなく、率直な話をしてくれた。とても役に立つ話だったので、素直に感謝して帰った。

 反社の人々の中には、本人が自覚しているかどうかは別にして、ときどき鋭い真実を話す人がいるのは確かだ。本作品で菅田将暉が演じたチンピラみたいな若者ピンクもそのひとりで、本音を吐露する主人公のツチヤタカユキに対して、相克を抱えて生きるツチヤの本質を指摘し、相克そのものを力強く肯定する。ツチヤも、思いがけない理解者の言葉に、ピンクの言葉を借りて「承知」と答える。このシーンが本作品のハイライトだ。

 ツチヤはダムが管理放水を続けるように絶え間なくネタを書く。ダムの水は枯れることもあるが、ツチヤのネタは尽きない。知り合いのプロの経営者は、日常はビジネスチャンスに溢れていると言っていた。ツチヤにとっても同じように、日常はネタのタネになる出来事で溢れているのだろう。ダムと違って、枯れることはないのだ。
 笑いは、現実の異化から生まれる。同じ話でも、立場を変え、見方を変え、価値観を変えれば、笑えることがある。笑いにも種類があって、微笑、爆笑、哄笑みたいに大きさで違いが分かる笑いもあれば、苦笑、冷笑、嘲笑みたいに立場の差が生む笑いもある。
 どんな言葉を使えばどんな笑いを得られるか。あらゆるシチュエーションを試そうとすれば、ネタは永遠に作り続けることができる。パラダイムに縛られていてはネタは書けない。人間関係を維持することを考えると、ネタに制限ができてしまう。

 多分だが、画家のゴッホはツチヤみたいな人間だったに違いない。10年間の画家生活で2000点ほどの作品を残したゴッホ。寸暇を惜しんでネタを書くツチヤに似たような生活をしていたのだろう。そして37歳で自殺した。本作品のタイトルにちなんで言えば、絵画のカイブツである。
 ツチヤタカユキには長生きしてほしいが、本人は長生きに興味がないかもしれない。自分の死さえも笑いのネタにしそうだ。狂気のようなその生き方は、世間の価値観や人間関係から遠く離れて、ある意味で自由だ。少し羨ましい気もした。
耶馬英彦

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