オールタイムベストの一本。
人生を変えた一本。
今言語化するとしたら。18歳で広島の田舎から単身大阪へ移住したときの心細さをアリスに、漠然とした将来のモラトリアムな、しかも反骨精神だけは立派な状況を主人公のフィリップに投影したのかもしれない。私は大学でドイツ語を専攻したことでこの作品に興味を持ったのだがそれらが全て相まって自分の人生を決定づけた一本になった。同じヴェンダースの『まわり道』のレビューにも書いているけど映画なんて何も知らなかった頃のその非ハリウッド的な展開の衝撃をこの作品でも食らって、映像作家になりたいと思うようになった。
フィリップは終始のらりくらりと漠然とした感覚で過ごしている。その割にはアリスに強めに叱責したかと思うと次の瞬間にはまた素直に応じている。アリスもグズグズ言ってる割には大人と子どもを行き来しているかのように様子が変わる。ヴェンダース自体が空っぽのように思えるがキャラクターとしての設定よりも人間らしさという事を思えばごく自然な振る舞いのように見える。それに同時期に撮影されていたボグダノヴィッチの『ペーパームーン』を知ってシナリオを変えるとか、こういったヴェンダースを取り巻く環境や状況自体がかなり流動的で、その感覚が明確に映画に現れている。私は物を作るというのはそういうことだと思っているので、漠然と行き場を無くして迷いながらそのプロセスで点を結んでいくという事にかなり影響されている。
ヴェンダースの映画はある種異常なアメリカ映画への憧憬を持っているが、根底にあるものがかなり観念的で内省的で時には感傷に浸りすぎる。ポラロイドを使って「見たままのものが映ってない」っていう一言はまさにヴェンダースの映画に言える事で、彼の映画は映像で展開していることと人物の内面に乖離があるように思われる。映画は映画でしかないので映っているものが全てだというが、私が彼の映画から学んだのは映像は映像で、言葉は言葉で、行動は行動で、とチグハグなものを繋ぐと映像以外のものが見えてくるということだと思う。アメリカ映画への憧憬があってチャック・ベリーのライブまで差し込んでいるのにサントラはCANで陶酔するようなリフレインが続く。何回見てもこの頃の初心に戻ってしまう。赤塚不二夫にも通じるほどの「これでいいのだ」感を私はこの映画から感じる。
以下駄文。
ここから当時(1998年くらい)ヴェンダースについて知りたいと思うようになって映画を見て文献を読み漁る中で、しょっちゅう出てくる方が現boidで爆音映画祭主宰の樋口泰人さんであり、同時に樋口さんも追うようになった。今となってはイベントや仕事でお会いするようになったが、会うたびにあの漠然と不安なモラトリアムの時期の自分に立ち返って、生きて続けていればなんとかなるという思いが込み上げてくるのだ。