レインウォッチャー

アステロイド・シティのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

アステロイド・シティ(2023年製作の映画)
4.0
結論:映画みようぜ。って話だった。

もしかして、ウェス・アンダーソンの映画を観てるときが一番幸せなんじゃあないか…と思ってしまうときがある。
それはきっと、ウェス氏自身が誰よりも映画の魔法を信じているからだ。周りに余計な建物が見えないディズニーランドのように、時に偏執的とすらいえるフレームと色調の箱庭でわたしたちを軟禁してくれる。

その手際は周到だ。前作『フレンチ・ディスパッチ~』(大好き)では
①架空の雑誌に書かれた内容と、
②その雑誌を作る編集部の様子とが同時に映画になる、所謂「入れ子構造」を取っていた。

今回はといえばさらに手が込んでいて、
①架空の演劇の内容と
②その制作の裏側が映像化され、更には
③それがTVショーで放映されている設定。
加えて、演劇で女優役を演じる女優(ああもう!)は
④別のドラマの練習をしていたりして…と、エッシャーの騙し絵の世界に放り込まれたかの如きややこしさと情報量。それでいて、ヴィジュアルはいつも通りサーティワンのカップにフィルムをくぐらせて仕上げたような甘さなのだから、いよいよ逃げ場がないのだ。

ここまでして、ウェス・アンダーソンが守りたかったものは何だろう?
それは、人知れず傷ついてくたびれた、小さなハートに他ならない。

その持ち主は、J・シュワルツマンが演じる一人の男が代表として引き受けている。彼は、演劇の中でも外でも大きな「喪失」を経験する人物だ。しかし、いずれも彼自身の「父親」あるいは「役者」という役割ゆえに、その悲しみを正面から受け止めることができないでいる。

彼の周りの様々な登場人物たちもまた、どこか年月や仕事に追われ、誰でもない自分自身に戻ってゆっくり自己を見つめなおす機会を見失っているようだ。
"時が癒しになるというのは間違い"
"タイミングとはいつも悪いものだ"
"君たちは生まれる時代を間違えた"
ところどころに散らばったこんな言葉が、現実を流れてゆく時間のアンコントローラブルな酷薄さを強調する。

彼らが(演劇の中で)引き寄せられるように("重力って好きだよ")集う、砂漠の中にぽつんと建つ小さな書き割りの町《アステロイド・シティ》は、どこまでも嘘っぽい。宇宙人という大ファンタジーが飛来し、後半にはまさにテーマパーク化したりする。
しかしそれゆえに、この場所は現実の時空から切り離されたモラトリアム(猶予)期間として機能する。彼らはゴタゴタの中で隔離されこの町に閉じ込められるけれど、その中である者は考えを整理し、ある者は新たな縁を見つけ出すのだ。

《アステロイド・シティ》は、ウェス・アンダーソンが考える映画や舞台といったフィクションの世界そのものだ。そこはある種の療養所、あるいは先人たちのレガシーに対する憧憬を隠し切れない様は寺院と呼んだほうが適しているだろうか。

映画の中で人々は叫ぶ、"目覚めたければ眠れ"と。再び歩き出すために、ひととき心を休める場所が必要。《アステロイド・シティ》は、星座のような物語たちは、いつでもわたしたちに開かれている。