otomisan

あのことのotomisanのレビュー・感想・評価

あのこと(2021年製作の映画)
4.1
 妊娠10週目、この7週間アンヌは胎児を殺す事に執着してきたわけだ。その胎児は座高3cm、体重10g、外形は頭、胴、四肢が分化して尾がなくなり手指の形も見えて、内臓諸機関も整ってくるころである。1963年であるからアンヌはこの子の姿を堕胎が成功するまで見ることはない。仮に見たとしても決心が翻ったろうか?

 もとよりそれが殺意と言うようなものであったかどうか。妊娠が知れた当初、3週目ではアンヌは不公平な仕打ちを被った、寄生虫に宿られたような感覚ではなかったか。進級が掛かった試験を控えてこの身中の蟲に思考を乱されて、ひいては我が一生の足枷となりかねない。そう思うとその存在がどうしても許せなかったろう。

 この時代は再び政治的に安定を見せ経済活動で台頭を始めたドイツ、没落明らかながら隠然とした英国をよそに、同じく植民地を手放さざるを得ず衰える国力を政治的不安定が足を掬う有様のフランスで数少ない対抗策として喜ばれたのが高等教育の拡充である。
 他方、米国の干渉、ソ連との冷戦で後退の危機に面して欧州が一体化に向かい始めた中、人材育成で挽回を狙わずにどうしてその中軸たるフランスの面目が立とうか、その波に乗ってやっと才能を生かす道が拓けたアンヌにとって子どもを産むための休学などどうして考慮の余地があるだろう。
 しかし、この一年、二年ののち現政権がもしも倒れたら今の大学への、また学生への政府助成が続く保証がどこにあるか。
 アンヌが告げる、堕胎を違法とされようと出産と人生を引き替えにはできない、とは、この機会を逃せぬという事である。大学を辞める羽目ともなれば彼女の僚友も語ったようにクニに戻ってトラクターを動かす一生に終わりかねないのだ。

 産む/産まないを決める事が権利かどうか分からないが、育てるかそれをやめるかの決定は動物で既に行っている事である。育てきれない状況に陥れば親は巣を捨て、子も捨ててしまう。共倒れを避け、親だけでも助かれば次の出産の機会が得られるかもしれない。
 かと思えば、群れをつくる動物なら子育てを共同化して成獣が子どもたちの盾となることもある。群れるヒトが何故子どもたちの盾を設けられない事があるか。しかし、能力としてはそうした施策がいくらでも取れても、それが過剰な人口圧を生んでは群れを滅ぼしかねないだろう。そこで、減圧策としての不寛容が許容される。隔離された場所で余剰人口への冷遇が淘汰を促し社会全体を救うのだ。
 アンヌの中でも、アンヌの心の中に隔離された受胎の事実がアンヌの社会的成功と自己実現に淘汰され、アンヌとその将来を救う。淘汰され忘れられる胎児はそれっきりになるはずだったろう。

 しかし、である。二度の堕胎術の末ついに流産を迎えたアンヌが経験するのは意外な決心の揺らぎであったと思える。
 寮のトイレに流す10gの異物が繋がりを訴える臍帯がどうしても千切れない。あの場面がこの映画の最高潮であろうが、その場に至ってアンヌは自身でもその臍帯を切ることができない。それが体力的限界であったか、直視に耐えない事態であったか、オペレーションの困難な状況であったかは分からないが遂に関わり合いを一度は拒まれた僚友に介錯を求めざるを得なくなる。
 トイレでの出産とは多くの場合事件である。それが早期流産を危険視される10週間以内で、僅か10gであるから大方目を瞑られる、よくある事として。それが堕胎措置の末であったとしても恐らくそれは検査されず見逃されるのだろう。
 アンヌが何者であろうと、これ以上母親を追い詰めて何になるだろう。生憎とこの世界は小さくて遍く寛容を垂れるほど豊かではないのだ。多分、社会それとも各個人だろうか、それらも制度、文化、慣習と矛盾して寛容さの独自な偏らせを是認せざるを得ないのだ。

 死んだ胎児は悲しめば済む?最後に考えたのはその時、そののちのアンヌである。自らは臍帯を断ち切れなかったアンヌが負った、あるいは自らの内に見出したのは何だろう?
 アンヌとは実はこの映画の原作者自身であるというが、当の人物がその時何を思ったかはさして重要ではなく、この映画のあの時、そののちのアンヌを眺めて私たちが何を思うか、アンヌの心中を斟酌し我が事に照らすという事である。女でなくてよかった程度なら恐らく相手にするのも苦労するだろうが、この頭の良い享楽的ともいえる思慮の行き届かぬ冷徹家があれほど追い詰められて示したありさまを今また言葉に置き換え、臍帯を切ってもらったように監督の手を借りて再演して見せてくれて、そこから何を感じるだろう。
 産まない事が権利化されればこんな事にならなかった?不安定な政治と行政を切り離す?何より寛容であれ?その寛容をどう育むか?どれも頷けるところがあるけれど、それがままならないのが現実である。我が政府の累積赤字と国民の内向きぶりを見よ。アンヌが生まれた頃、1940年、この国は世界大戦の真只中で、本来敵国ドイツ的政策であるユダヤ人狩りが横行した場所である。5年後、その対敵協力者を私刑にしてできた現共和国が1963年のフランスでもある。

 不寛容を容認せずにはどこか自分自身を立てきれないのがヒトの在り方かもしれない。それでも、あのトイレで見せたアンヌの不寛容に徹しきれなかったいっときにアンヌのもう一人のあり様がこころの底を覆っているのかとも思えた。悪評も聞こえる原作者だが、私たちにはいい映し鏡かも知れない。その歪みっぷりに気付いているというのなら、その歪みに問いかけ自身の平滑さとは疑う余地のない事かを問い直す機会かもしれない。
otomisan

otomisan