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モナ・リザ アンド ザ ブラッドムーンのbluetokyoのレビュー・感想・評価

3.0
面白いか面白くないか、どちらだと言われれば、面白くはないと答えるしかない。そもそも、どこに面白さのポイントがあるのかもわからない。そんななかで、唯一シンパシィを感じたシーンというのはある。主人公のモナ・リザが精神病院の病室から抜け出したとき、出口にトロそうな警備員がいて、むしゃむしゃとジャンクフード、日本でいえばカール、みたいなのを食っているのを見て、それを寄こせと言ったときだ。いや、言ったわけではないが、とにかく、その安っぽそうな菓子を奪い取ったときだ。

そんな頭の悪そうなガキがむしゃむしゃ食ってそうな菓子でも、12年間? 監禁されたモナ・リザにとっては、手に入れようにも手に入らない代物なのだ。奇跡が起こっても食べることは出来ない。万引きでもすれば別だけど。

つまり、モナ・リザは、、目の前に広がる共同体というか、社会、世間、そういったものから、徹底的に排除されているのである。共同体に所属していれば、空気を吸うごとく簡単に手に入る、ここでは、ジャンクフードが、手に触れることすら出来ない。見るのが関の山である。

ファストフードのハンバーガー店で、たいしてうまくもなさそうなハンバーガーのセットを食っている爺さん。外界を隔てる大きな窓ガラスに、モナ・リザは、べたっと張り付く。ハンバーガーが超絶的にうまそうだから引き寄せられてのではなく、そんなものを空気を吸うごとく簡単に食ってしまえる立場に引き寄せられたのだろう。

だから、モナ・リザの願いは、排除されないことなのだ。自由などではない。自由はそこからずっと先のことで、まずは排除されないことだ。とりあえずは。ジャンクフードやたいしてうまくもないハンバーガーを食べられることである。そこからだ。でも、そのなんと遠いことか。

排除に関わる一方的な攻撃、一方的な高圧的な態度、それらに、モナ・リザは、敏感に反応し、身に着けた超能力によって反撃する。
逆に、排除ではなく、受け入れる態度で初めて安心して接する。ファズやチャーリーなんかがそうだ。もっとも、かれらが、なぜ、モナ・リザを受け入れるのか説明はない。チャーリーはいじめられっ子だからだろうか。
そうそう、チャーリーをいじめている小僧、卵をぶつけるのだ。卵をぶつけるのもクズだが、いったい卵、いくらすると思ってるんだ、食いもんを投げるんじゃなえ、と思ってしまう。

排除されているものの絶望は、そもそも、そこから脱出することすらできないのだ。脱出するには、交通機関を利用するしかない。歩けばいいけど。交通機関を利用するにはカネがいる。排除されているものには、そのカネがないのである。
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