田中宗一郎

リコリス・ピザの田中宗一郎のネタバレレビュー・内容・結末

リコリス・ピザ(2021年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

映画冒頭、アラナ・ハイムとクーパー・ホフマンの出会いを、カメラがゆったりとした横移動で捉える素敵なショット。ここでの二人の台詞のやり取りがご丁寧にもこの映画の主題をごく明確に提示してくれます。曰く、この作品は「二度繰り返すこと」についての映画。あるいは、「永遠に続く反復」が主題の映画なのかもしれない。

冒頭の二人の出会いのショットはやがて、歓喜の笑顔で通りを駆け抜ける二人をカメラが高速の横移動で追いかけるショットによって繰り返される。また、アラナ、クーパーそれぞれが思わぬ危機に遭遇した時、互いを思いやる気持ちに掻き立てられたそれぞれが、愛する者に寄り添うため必死の形相でスクリーン上を駆け抜ける姿をご丁寧にもそれぞれ一度ずつカメラは追いかけるのです。そして、ハッピーエンドの大団円(に見えなくもない)ラストシーンに向かって、また二人は左右両側から互いを求めるようにしてスクリーンを駆け抜ける。どの瞬間にも「ああ、やはりそうか、馬鹿馬鹿しい」という諦念にも似た感慨を感じながらも、間違いなく自らの胸のうちに確かな感動が込み上げてきました。

トマス・ピンチョンの小説やチャールズ・M・シュルツの漫画『ピーナツ』と同じく、主役二人を筆頭に大半のキャラクターは誰もが致命的な欠点を抱えていて、どうにもエゴイスティック、政治的に正しいとは言い切れない者ばかり。どいつもこいつもやることなすことめちゃくちゃです。だが、確かに誰もが懸命に生きていて、思わず愛おしさを感じずにはいられないほどには誰もが魅力的。そう、だからこそ厄介なんですよね。ははは。そして、彼らは性懲りもなくまた間違いを繰り返すに違いない。

70年代初頭という舞台設定ながら、個々のアイデンティティに対する無知や偏見、様々なハラスメントを引き起こしうる社会が抱える構造的な欠陥ーーつまり、インヒアレント・ヴァイス(©︎トマス・ピンチョン)ーーといった2010年代半ば以降、より顕在化することとなったイシューがそこかしこで実にさりげなくユーモラスに描かれる。過去を舞台にした映画は必ず現代を批評するという公理はここでも健在だ。

だが、そんな愚かな彼ら/我々は(例えそれが、誰かに支えてもらいたいという卑しい自己愛の発露だとしても)何とか互いを支え合うことで、家族や仲間という小さなコミュニティや社会全体に少しは調和をもたらすことが出来る(かもしれない。だって、それこそが罠かもしれないじゃないですか🤪)。

つか、この二人、どちらも死ぬほど嫉妬深いし、それぞれがきちんと2回、別な異性にクソつまんないタイミングで惹かれていくんスよ。時にフィクションの中ではひたすら美しく描かれてしまいがちな恋愛の不条理と醜さをPTAは相変わらずの筆致でスウィートかつグロテスクに描き出しているのです。

美しいマジック・アワーの光の中で切り取られたアラナとクーパー二人の後姿。日が沈む夕暮れの地平線へと向かう二人の姿が辿り着く先は、やがて訪れるだろう二人の破局という未来か。もはや失われてしまった時代に対するノスタルジアか。だが、PTAはこの二人の、この時代の、最高に素敵な瞬間を切り取ることにひたすら腐心している。それがマジ最高です。

何度も何度も間違ってばかりの愚かな二人。何度も何度も間違ってばかりの愚かな人類が暮らす地球という星。もはや「出来ることならこの生活が永遠に続いていけばいいよね!」という言葉を気楽に吐けるほど罪が軽くはない、二度目以降の悲劇はもはや喜劇でしかないことを痛感させられる世界に生きている我々ではありますが、「でもさ、あと少しぐらいは続いてもいいよね?」と思わせてくれるほどの、本当に素敵な映画でした。ロシアのウクライナ侵攻以降の世界の動向にすっかりメンタルやられてる人は絶対に観た方がいいと思います。
田中宗一郎

田中宗一郎