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リコリス・ピザのKuutaのレビュー・感想・評価

リコリス・ピザ(2021年製作の映画)
4.4
熱帯夜の空気を吸い込んで、車の窓全開でサントラ聴きながら帰った。

少年ゲイリー(クーパー・ホフマン)が大人のおねーさんアラナ(アラナ・ハイム)に翻弄される話かと思っていたが、ここまでストレートに女性がメインの内容、PTAでは初めてでは?

大学生の頃ブギーナイツを見ていなかったら映画好きにはなっていなかったし、Life On Mars?の予告編の時点で「これは好きなやつだ…」と覚悟していたが、自分でもビビるぐらい泣いてマスクがぐしょぐしょになりました。

特にアラナが抱き合う場面、感情を盛り上げるステップの踏み方が上手い。①警察署の前ではガラスの中②階段の前では影同士③転けたり喋ったりと「2回」外しの演出を挟んでから実像が結ばれる。

(階段前の抱擁は、直前のレストランのシーンからよく出来ている。アラナと男性の実像は、レストランでは一度もワンショットに収まらない。人目のなくなった影の中に入って初めて彼らは弱音を晒せる)

初めてバーにアラナが来た場面、周囲がぼやけているのに彼女の顔にピントが合い、「彼女しか見えないゲイリー目線」が表現されているのが印象的だった。全体にカメラ位置は遠目で、「2人」にピントを合わせつつ、間に無関係な人が通り過ぎたり、ガラスが挟まれたりするので、脆い2人の世界(過去)を遠くから覗き見るような質感になっている。

ぐるぐる回る巨大照明はアメリカングラフティで見たやつだった、というか、ど頭の完コピに始まり、全編アメグラのようなノスタルジーと移動の映画だった。エンドロール最後の映像が示すのは、能天気な60年代が終わり、アメリカが落ちていく直前のマジックアワーだ。それは2人の関係も示唆している。

電話線を引きちぎったパンチドランラブのように一筋縄では進まないストーリー。「2回繰り返し」「フレームや鏡の虚像」を軸とする全体像は、冒頭の廊下の行ったり来たりでバッチリ示している。ゲイリー視点だけでなく、わざわざアラナ側から切り返してもう一度長回しを始めた瞬間、ファントムスレッドにもその萌芽のあった「男女双方の物語」だと直感した。NYに向かう機内で男女が訪問してきて、会話を受けるゲイリー/アラナがそれぞれピント送りされるなど、似ているようで非対称のお話がすれ違ったり、重なったり。

唐突にブラッドリー・クーパーが歩いてきてトラックに乗り込む場面も笑った。「偶然」と「画の力」と「編集」で話を引っ張る、映画ならではの力技。理屈を超えた悲喜劇で人間を肯定する手つきには、テーマとか伏線とか共感とか全部どーでも良い!と思わせてくれる安心感がある。

70年代ロサンゼルスという魔境で、ショービジネスに片足を突っ込んでいるゲイリーは、地に足つける気などさらさらない。煙=映画の世界の先輩として、煙から登場するトムウェイツや炎を飛び越えるショーンペン、ライターを持つブラッドリークーパーが描かれる。

散水、暴発する水道管、ウォーターベッド。水のようなゲイリーの世界に、質量を持ったアラナが入ってくる。ガソリンを失い自ら進むことのできない子供たちの未来。アラナの眼差しに救われた事も理解できず、ゲイリーは能天気に喜ぶ。アラナは疲れた表情を浮かべる。

しかし、逃げ込んだ「大人」の世界に自由はない。ゲイリーとアラナの関係とは対照的に、ビジネスに女性を利用するジョン・ピーターズや、日本料理店のオーナー。市長候補を追う12番の男が「ここは自由の国だ」と一番の余裕を見せるのが皮肉だ(市長絡みの話はハーヴェイ・ミルクを思い出したが、ガス・ヴァン・サントが撮った伝記映画の主役はショーン・ペンだった)。

あのオーナーは愚かな人間として批判的に描かれていると感じたが、「日本人差別だ」という意見もあるらしい。PTAは裕福な白人男性という自らの立場に、かなり自覚的な映画を撮ってきた人だと思うのだが…。88点。
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