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オッペンハイマーのmのネタバレレビュー・内容・結末

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

冒頭の毒林檎と、原子爆弾の関連性

“We imagine a future, and our imaginings horrify us.”

“They won’t fear it until they understand it. And they won’t understand it until they’ve used it.”

科学者であるオッペンハイマーは、青酸カリは人を死に至らしめることを知っていて、それを恐れる想像力を持っているから、りんごを直前で取り返すことができ、殺人に至る前に引き返すことができた。

彼は原子爆弾の恐ろしさもわかっていた。しかし、彼は所詮科学者であり、作る権利はあっても、「使う」権限はなかった。そして、原子爆弾を「使う」者達は、それを恐れる想像力を持っていなかった。

想像力の欠如は思いもよらぬ悲劇を巻き起こす。





ひと言で言うならこの映画のテーマはオッペンハイマーの苦悩であり、メインとなるのは原爆が落とされるまでの過程よりも、その後の聴聞会であると言ってもいい。戦争映画としてではなくヒューマンドラマとして見た方が圧倒的に得るものがあると思うし、被爆国民としての先入観を捨てずに観てしまうと全く彼に共感できないだろう。

国のために自分のできる限りの仕事をした結果得た、手が血塗られたような苦悩。自分の成し遂げた仕事に対する達成感、間違っていたのではないかという苦悶、名声とともに膨らんでいく心の負担。

ソ連スパイ容疑の聴聞会が圧倒的に辛いシーンだった。「裁判ではない」から、弁明の余地なんてものは用意されておらず、ただただ追い込まれていくのが辛い。
証拠の無い恨みから、無実無根の人間を手持ちの証拠で追い詰めていく様子が悔しかった。
原爆を作った本人が水爆を反対するのは矛盾である、責められていたが、矛盾ではなく心の変化なのが伝わらず、苦しかった。心の変化なんて目にも見えない、論理的に説明もできないものを詰められたとしても何も言えない。

最後の最後でアインシュタインと交わした会話が明かされ、ストロニーズのことに触れていないのがわかったこと、そして「世界を壊してしまった」という締めの言葉が心に響く構成だった。

表向きは彼自身の名誉回復であるが、本当は「彼らのため」である、フェルミ賞授与シーン。やっとオッペンハイマーが名誉を取り返すことができた達成感と、そこまで遠回りさせられた悔しさと、何事も無かったかのように振る舞う裏切った関係者たちへの怒りと、色んな感情が湧いてきて泣いた。

実際オッペンハイマーは聴聞会で決定した事実上の公職追放後、常に監視され、機密情報のアクセス権もないため研究が出来ない、不自由な人生だった。本作だとその辺りは深堀されなかったものの、苦痛だったと思う。

科学者は使わずとも計算で恐ろしさを理解しているが、一般人は実際に使われなければ恐ろしさが分からない、といった内容が個人的にとても心に残っており、オッペンハイマーの苦悩の大きな部分であると思う。

ヒロシマ原爆投下後の人々の歓声が人々の悲鳴や叫びに聞こえるように変わるシーンは、表現方法が圧巻であり恐怖だった。


追記
毒林檎、ジーンの自殺について

毒林檎でもしニールス・ボーアが死んでいたとして、明確に死の起因が見えるし、「彼がニールスを殺した」が明確である。だからこそ、明確に殺すのを阻止しようとした。
ジーンの自殺は、原因がすべて自分かどうかわからない。「何かがジーンを殺した」が、起因は自分に少なからずともある。それを自覚していたから心のダメージが大きかった。

原爆はどうか。誰がヒロシマや長崎の22万人を殺したのだろうか。原爆を作った科学者?原爆を落とした操縦士?命令を出した大統領?
殺人かどうかの不透明さと、失われた命の数のギャップが彼の心を蝕んだのかなと思う。

余談
第二次世界大戦〜冷戦後までしっかり復習しておくべきだった。科学用語よりも政治用語の方が難しかった。登場人物が多い&役職が似てたり顔が似てたりして、誰だか忘れるので、俳優の顔を覚えておくといいかも。あとはパンフレット読んでから2回目!
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