三四郎

オッペンハイマーの三四郎のレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
1.0
映画を観ていてだんだん腹立たしくなってきた。オッペンハイマーというインテリにありがちな内向的なくせに女好きで名声と栄誉を求める気の弱い男。科学者に道徳や倫理観など求める方がおかしいのだろうが、大嫌いだね、こういう男。

彼の周りにいる女性たちも彼と同じインテリで欲求不満。精神を病んでいた元婚約者も(映画を観る限り自殺ではなく暗殺に思えた)、不倫後に結婚した超気の強い奥さんも、類は友を呼ぶのかというほど、皆コンプレックスの塊で共産党員。映画の中では、もう一人、不倫相手の金髪女性もいた気がするが、オッペンハイマーの私生活は、実際もっと乱れていたのではないだろうか。

私は科学のことはさっぱりわからないが、この映画を見る限り、オッペンハイマーは決して優秀な人物ではなかったように思う。彼が優れていたのは、優秀な科学者たちをまとめて原爆開発という一つの目標に向かわせたその統率力だろう。

この映画で大事なのはユダヤ人科学者たちだ。彼らは、ユダヤ人を迫害しているナチス・ドイツよりも先に原爆開発に成功し、ナチス・ドイツを降伏させようとしていた。
その本命ナチス・ドイツが降伏してしまったが故に、使う場所がなくなり、科学者の手を離れた原子爆弾は、アメリカ首脳部により瀕死状態だが戦意だけはある日本に落とすことに決められた。
多くの人の命を救う為に原爆を落として戦争を終わらす?「多くの人の命」というのは「アメリカ兵の命」だよね?

原爆投下目標都市を決める際、「東京大空襲では民間人10万人を殺した」という科白が出てくる。戦争中で実地調査もしていないのに、3月の東京大空襲では民間人10万人を殺したと平気で言っている。綿密に練られた計画故に、非戦闘員である民間人を10万人殺したと、アメリカ首脳部はこの時点で明確にわかっていたのだ。この時、オッペンハイマーたちは、「原爆では1度に2~3万人を殺せる」と言っている。「京都は文化的価値があるし新婚旅行で行ったんだ」と言い、目標都市から除く会話も出てくる。

ふざけるなと思った。

あの原爆投下目標地点だった広島の相生橋を路面電車で渡り切った瞬間、逓信の夜勤明けだった祖父の姉は被曝し全身大火傷を負った。顔は本人か見分けがつかぬほどの大火傷でたらいのように膨れ上がり、吊革を持っていた右腕は硬直していたという。それでも「お母さんのもとに帰りたい」と近くの天満町の実家(父親、祖父母、長女、次女、長男が住んでいた)ではなく、母親と弟3人が疎開していた八木まで帰って来た。市内から逃げてくる途中で兵隊さんの救援トラックに乗せてもらったという。彼女は8月9日に「お水を頂戴」と言いながら亡くなった。曾祖母は「水を飲ませたら死ぬる言われとったけぇ…。どうせ助からんのならえっと水を飲ませてやればよかった」と原爆の話をする時はいつも悔やんでいた。
祖父の兄も旧制中学1年生だったが建物疎開作業中に被曝し、本人の骨か定かではないが、遺骨となり帰って来た。
祖父は小学校4年生だったが、原爆投下の翌日、母親に実家の状況と家族の安否を確かめてくるように言われ、市内に入ったという。兵隊さんが子供一人では危ないからと付き添い一緒に実家のあたりを探してくれたそうだ。「あの頃の兵隊さんは皆親切で優しかった」と言っていた。勿論、一面焼け野原で家も何もなくなっていて、あたりは馬や人の死体だらけで、路面電車の出入口に黒焦げの死体が積み重なっていたという。皆出ようと思ったが出られず力尽きて焼けつきたのだろう。

ドイツ留学中、西安出身の歴史好きな中国人留学生と話している時、私が広島出身だと知り、原爆投下についてアメリカを恨んでいるかと聞かれたことがある。
私はその時「恨む」という言葉と予想外の質問に驚いた。
「広島の人間も日本人も決してアメリカを恨んではいないし、原爆投下についても“戦争中だったから…(仕方がない)“と大多数の人が思っていると思う。事実、姉や兄を亡くして、自身も入市被曝者で原爆手帳を持っている祖父母もそう思っている」と答えると、彼は非常に驚き「日本人のその考え方は中国人とは違う。人として尊敬するがあまりに立派すぎて理解できない」と言った。

しかし、こんな映画を観ると無情というか…言葉にならない憤りを感じ、人間というのはこれほど愚かなものなのかという諦念が込み上げてきた。
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