ここまで「原爆」の経緯に踏み込んで罪悪感まで訴えた作品はアメリカ映画史上初めてじゃなかろうか。
核分裂が見えてしまう天才であることを除いてはオッペンハイマーは小心者で本妻に頭が上がらない普通の人だったように見えた。昔の彼女とセックスしているとき「われは死なり、世界の覇者なり」のフレーズを口にしている。後に「原爆の父」となることを運命が見抜いていたようで印象深い。
誰が悪いとかではなく、有能な若者が罪深いクジを引いてしまうのだから、国家プロジェクトって怖い。
広島、長崎を軽視しているという意見に出会うが、僕は逆にアメリカが2都市をどう見ていたのか、よくわかった。脚本上あれが正解だろう。
これは明確な1つの正解を得る映画ではなく、代わりにわれわれは重たい問いを受け取る。そして、それは一生続くと思った。