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イニシェリン島の精霊のギャスのレビュー・感想・評価

イニシェリン島の精霊(2022年製作の映画)
3.7
途中まで人生の機微が、どこをとってもとても共感できるように描かれていたのに、突然ドアに叩きつけるある出来事で不可思議な人間模様へと突き進んでゆく。

人間の感情や行動の展開から、最後まで目が離せない。
後味の複雑さ、劇中のあれこれが何なのかどうしてなのかが頭に渦巻く時間があまりに独特のマクドナーらしさ全開でかつ"面白い"(重いが)。


ネタバレ
内戦のメタファーは置いておいて、誰が何のメタファーなのかなど、見る人の人生の中でこの物語を作り上げるしかないのだが、あまりにも自分の中に材料が足りない気がしてしまう。
ドミニク(バリーコーガン)は島の純粋無垢の象徴なのだろう。それが失われてしまう怖さ。ロバもおそらくパードリックの。しかし死因はそれぞれに意味深だ。指によるロバの死はほぼ事故死だが元を辿ればパードリックとも言える。ドミニクは?自殺なのか他殺なのか事故なのか。しかし、水死体を引き寄せるフックのついた棒を彼は冒頭で拾っているので、死は予言されていたとも言える。ミセスマコーミックはわかりやすく死神であり、ゴシップ好きすぎる店主や性的虐待までしていた警官は"島の悪"。
しかし、いったい何に"指を切り落とす価値"があるのか。本気を示すためとは?何に対して、それほど本気なのか。人間が命令されずに自ら命をかけるものは、家族や恋人に対する愛、もしくはプライドや誇りしかないと思うのだが。自分の残りの人生が大切だから指を落とす?矛盾している。

この辺でギブアップして町山の動画を見てしまった。この映画について語りたがらない監督が唯一言ったのが、恋愛の別離についての映画だということらしい。
コルムは自分の指を落としてまでパーリックへの愛を一生懸命否定している(もしくはパードリックに考えることを強要している)のだと考えると、個人的にかなり納得がいってしまった。映画を見ている最中に私がクスクス笑っていた懺悔室のやりとり、冗談だと思ってしまっていた彼との愛についての部分だ。
指を落としたコルムと共に、ある意味平然と音楽を楽しむ島民たちは薄々気づきつつも"敢えての無関心"の象徴にも思える。同性愛など無いのだと。しかし、結婚しない姉弟の存在、特にシボーンは島民を嫌い、この島であまりにも浮いていた。渡った本島では人生をやり直せているようだ("恋人"もいるのかもしれない)。あまりに自覚のない鈍感なパードリックは、とうとうコルムと向き合う(敵としてだが)ことに本気になるが自分の命は賭けていない。(そもそも彼が結婚していないのもコルムへの愛があるからなのだと思うのだが、彼には考えることも自分を内省することもましてや他人の心を推し量る努力もない。彼があまりに感じない考えないことから起きた悲劇なのだとも言える)パードリックはラストシーンからも歩き去る。死神が向いているのは残ったコルムの方へだ。神に背く愛を自覚した彼の死が暗示されているとも言えるか。どんな解釈にしろ、愛の終わりとしては苦すぎた。コルムと同じ種類の人間として描かれるシボーンは島から去ることができたのだが。
海に囲まれた広大な"草だけ"の島の風景は雄大なように見えて、あまりに人間の愛に"不毛"な地だった。


追記 : 内戦のメタファーについて。安易かもしれないが個人的には、本土のドンパチとそれに無関心な島民という関係は、コルムの内面が大混乱していることに無関心なパードリックのような気がした。島はずっと内にこもって変化することなく、外の(自らの身を削るような)大きな変化に関心がない。
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