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やがて海へと届くのnetfilmsのレビュー・感想・評価

やがて海へと届く(2022年製作の映画)
3.3
 途中までは「震災」モノだとまるで思っておらず、すみれ(浜辺美波)の死はいわゆる文学的に言うところの突然の自死なのだと思っていた情報弱者だったが、そう言われてみれば最初のアニメーションも津波を想起してしまう人へのある種の配慮だと納得した。やはり「震災」モノは傷ましい災害から10年が経過しても風化するどころか、ある種の人々にとってはつい昨日のことのように錯覚を起こすのも事実で、それはあの日から時が止まったように生きる真奈(岸井ゆきの)の姿を見れば日を見るよりも明らかだろう。かけがえのない人々を失くしたり、あるいはあの日から連絡がつかなくなった人々にとっては当然、事件は風化するどころかかえって痛みを増幅させるばかりなのもわかるのだが、老婆心ながら主人公に言いたいのは、好きな人がいなくなったことと津波で流されたことは別個なものとして認識するしかないということだ。今作の描き方は真奈だけがすみれを常に忘れず、いつも心に置いている人物だと美談のように据えているように思うが、それは彼女の母親(鶴田真由)や別れた彼氏の遠野(杉野遥亮)も同じではないか。いや、彼ら彼女たちの感情の据え方は人それぞれ個人差があり、デリケートな問題なので一概には言えないのは百も承知しているが、母親や恋人とてすみれの「不在」を痛みとして感じぬ夜などなかったはずだ。
 
 それでもすみれの不在を我がことと受け止めきれない真奈の地に足のつかない旅は、『風の電話』のハル(モトーラ世理奈)の旅同様に危なっかしい。だが今作の問題はそんな主人公の旅が乗り越えられない危なっかしい道行きだということを観客に「伝え切れていない」点にある。気仙沼から遠く離れた東京の地には、真奈が彼女と同じくらい災害に縛られている人を見つけ出すのにはあまりにも不幸で、だからこそ彼女に感応した楢原(光石研)の死は「ホラー映画」ならば絶妙な挿入でも、ある種の違和感すら抱かせてしまう(そう言えば彼のCDライブラリーにはHorace ParlanのCDがあった)。だからこそ真奈は自分の脚で実際にすみれが見ていたはずの風景を見て、同じ匂いを感じ、同じように風や太陽を浴びながら、当時はなかった巨大なコンクリートの防波堤の影に包まれる体験を生で感じることしか痛みに向き合えなかったのはわかる。それならばなぜ一人旅を選ばず、職場の同僚の国木田(中崎敏)の運転でその地へ向かったのか?後半の震災被害者たちの生の声は演じていないからこそダイレクトに伝わる彼らの心の叫びで、何よりも尊い。だがあそこに「リアル」な声を配置した以上、そこで行われるフィクションにも「リアル」に対峙出来るような気構えが求められる。にも拘わらず新歓コンパの真に凡庸な描写が一度ならず、二度までも繰り返されるのには流石に呆れ果てた。『風の電話』に見られた当事者ではない人々にかろうじて紡ぐことが出来た物語の繊細さは望むべくもなく、中途半端な形のまま終わってしまっており、震災を題材とした映画の難しさをあらためて痛感させられた。
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