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地図になき、故郷からの声のumiのレビュー・感想・評価

地図になき、故郷からの声(2021年製作の映画)
5.0
トルコ、シリア、イランといった国において、クルドの人びとは今も迫害を受けている。トルコにおいて、クルド語を用いること、クルド語の歌を歌うことは長く禁止され、監視の対象になっている。口承で文化を伝えてきたクルドの人びとにとって、クルドの声、ことばを伝えてきたデングべジュの存在は心の中に刻まれているものであり、そして語るには緊張が走る存在でもある。デングべジュたちは、普段の生活の中で感じる喜びや悲しみを言語に変える。歴史と文化を伝える。人びとはデングべジュの声を聞けなくなること、文化の担い手を失うことに、悲しみを感じている。

何より重要だと感じたのは、「この(デングべジュの)研究を日本でやっても仕方ない、トルコでやるべきだ。」と監督が直接言われているシーンだ。スクリーンを超えて、わたしのところまで突き刺すように、届く。わたしにも問われている。なぜわたしはクルドのことを知りたいと思っているのだろう。わたしが日本でクルドのことを知ったり、感じたりしたことで何になるのだろう。

トルコにおいてクルド語で歌うこと、そのこと自体が「政治的」な行為であるとみなされる。ここにおいて、「政治的」とはどういうことなのか。安易にわかった気になることはできない。デングべジュの歌のたたえる喜びや悲しみをわかるには、まだ精神や身体がその境地に達していないような感じがしている。ホセ・ムヒカが「タンゴは郷愁そのものだ。何を手に入れ、何を失ったか。人生での喪失を知るもののための歌なのだ。いくつかの挫折を知った後に好きになる音楽だ。」と言っていたことを思い出した。何も喪失する過程をもつことなく、日本でデングべジュの歌を聞いたとして、何になるのか。だが喪失とは異なるが、わたしの中で、まさに何かが崩れている。ことばもわからないのに、歌に寄り添われている。

感じたり、想ったりすることが、「政治的」であることを心身を通して理解するための始点になるのだと思いたい。日本における移民・難民政策を問い直す上においても、だ。

これからわたしがさまざまなことを知ったり、感じたり、考えたりして行く中で、きっと再びこの映画を見たいと思う日、歌を聴きたいと思う日が来るのではないかと思う。なんとなく、どのような形でもいいので、いつかまた出逢い直すことができることを願う。
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