ひれんじゃく

デューン 砂の惑星PART2のひれんじゃくのレビュー・感想・評価

デューン 砂の惑星PART2(2024年製作の映画)
3.9
最初から最後まで圧倒されっぱなしだった。とにかく映像美と細部までこだわった宇宙船等のビジュアルが鬼気迫っていてものすごい。それに役者の演技と大迫力の音楽が上乗せされてもはや映像作品を見ているというより実際にあった出来事の歴史映像を見ている気分になった。以下ネタバレ。原作も読んでいるのでそっちに関してのネタバレも含んでいるし、やたらと比較して偉そうに語っているので注意。というかこれ世界観が入り組みすぎて今回から原作の軸でもある宗教戦争が激化してきたので原作読まないとやっぱりキツくないですか?????映画だけでなんとかしようとするとだいぶ厳しい気が今回もしてしまった。これはこれで映像化の成功だとは思ってはいるものの。




















 フェイド・ラウサの出番が大幅に増やされており、キャラも改変されててうれしい悲鳴。原作だと正直あまりパッとしない印象だったのが、ポールと対になるよううまい感じに変えられていた。特に闘技場のシーン。急に画面全体がモノクロになり、会場に居並ぶ人々のぬらりとした人間味のない容貌も相まって異様さが際立つ。あの観衆の熱狂ぶり、独特のデザインの宇宙船が宙に浮いている軍事パレードめいた行進、そして白黒の世界を見ているとなんだかナチスドイツのパレードやら党大会を見ているみたいだな、などと勝手に連想してしまった。男爵を頂点とする独裁政治がなされてるのが容易に想像つくし、ハルコンネン家の野蛮さが理解できる。いかにも敵です!!!っていうのがめちゃくちゃわかりやすかった。
 あととにかくオースティン・バトラーの目つき。眉毛・頭髪がないからなのかわからないが常に殺気立っていていかにも次期男爵にふさわしいというか、こいつがラッバーンのあとにアラキスを統治したらやばいことになりそうだなという感触が顔を大写しにしただけでビンビンに伝わる。目に感情がないというのかな。口元だけが動いている感じ。前後関係は忘れたけどポールと対面したときに一瞬だけ「オ?やるじゃん」みたいな顔をしていたのがかわいかった。
 原作では男爵と謀略を巡らせバチバチに対立していたが、本作ではどちらかというと手駒に使われている印象が先立ちただの戦闘狂みたいになっちゃってるな…と思ってたらただ相手を嬲り殺すだけじゃなくて叔父から与えられた試練の意図を理解してパフォーマンスと化して見せるそぶりや(シールドを解除して戦奴と戦うシーンとか)ラッバーンがてこずっていたシエチの攻略を推し進めていて、軍事面でつよつよの描写が盛りだくさんになっていたのでなるほどと思った。原作ではナイフに毒を塗っていた上に戦奴の動きを止めるキーワードを仕込んでいて、ピンチになったときにそれを発してなんとか勝ったみたいな描かれ方をされていたので、それがなくなったことでますますシンプルに強いヤバイ奴と化していてよかった。そのほかにもナイフをベロンと舐めてバランスがクソって言って調整者を切り捨てるシーンとか。人肉を食らう「ペット」を飼っていたりだとか。ラッバーンをぶん殴って靴を舐めさせるシーンだとか。製作陣の中にフェイド・ラウサ強火担がいたとしか思えない新出人格描写スチルが盛り盛り。よく少ない描写からあそこまで盛ったなと感動したし今作でフェイド・ラウサが一番のお気に入りキャラとなった。爪痕の残しっぷりが半端ない。超能力を得たポールと張り合うポジションになるのはさすがに厳しいんじゃないか??と思っていたが全然そんなことはなかった。最後の決闘シーンも原作(砂の惑星)にはなかった気がするし。←ありました。大恥。

 ポールとジェシカが人ならざる者へと変質していく過程も非常にわかりやすく描かれていた。特にポールが指導者となり、人々の間をかき分けて進みながら皇帝がいる船(香料採取船だったかも)を爆破する光景を仁王立ちで眺めているシーン。あそこの一連の流れでなんかおぞけだってしまったな。ベージュの点にしか見えない数の人々が波のように割れてポールを通すところを俯瞰で映すところとか。指導者として長老たちを差し置いて演説をブチかまし、ルサーン=アルガイブと皆が憑りつかれたように連呼するシーンとか。ポールのよき友達だったスティルガーはどこへ…ひとつの宗教と教義の元で結び付いた民はたしかに強そうなんだけど、やっぱりそれにのめり込んでいく恐ろしさ、指導者が虐殺へと民を導き、それに殺到する戦士の絵のグロテスクさが強調されていた印象。
 それと関連して原作よりも聖戦(ジハード)へ突っ走っている点を強調して描いていたように思えて興味深かった。原作のポールは翻るアトレイデスの旗と夥しい数の死体、己の名前が木霊する戦場を幻視したのもあり「なんとかして聖戦は回避しなければ」と固い決意を抱いているんだけど、このシリーズのポールはもう割と最初から復讐に向かっていて、そのためならベネ・ゲセリットが流布し根付かせた大法螺すらも利用してフレメンを味方につけハルコンネンをボコボコにしてやると息巻いているのでなるほどなあここを変えたのかと思った。「預言」が成就していく様を目の当たりにし、どんどんポールを妄信していくスティルガーと原理主義者の民、そんな彼らを横目に自身は宗教ではなくフレメンの民のために戦うのだ、そうだったはずだと危機感を抱くチェイニー、フレメンの間に根付く宗教に関心はないけどハルコンネンをぶっ倒す戦力を手に入れるためならポールが救世主と祭り上げられるのもよしとしているガーニー、血統とこれから生まれてくる妹・そして滅亡したアトレイデスの再建のためならば迷信も預言もすべて利用し尽くさんとするジェシカ(ジェシカの目的が読めず間違ってるかも)、それぞれの思惑が絡み合って血みどろの戦争へと向かっていく感じに血が沸き立つとともにPart1を思い返してこんなはずじゃなかっただろうとチェイニーが気の毒になる。付き合ってくれた友達が「環境が厳しい南部は原理主義者が牛耳っているけど、比較的住みやすくてアトレイデス/ハルコンネンの拠点がある北部はあんまり宗教に染まってない」「南部の環境がきつすぎて何かすがるものがないと生きていかれないから宗教の力が強いんだろうね」って言っててあ~~~~なるほどなあとなった。このままだともう完全に狂信者が宇宙を焼き尽くすバッドエンドルート一直線なので誰か彼らを止めてくれえ!!!と悲鳴を上げた。神はシャイ=フルドだけでいいじゃん!!!!!!!物言わぬ神、何者にも止められぬ荒ぶる砂漠の神、生ける間は産砂として香料を生み出し、死にゆく際には命の水を遺す人ならざる神がもうデューンにはいるんだから!!!!!!!

 なお私は今回で完全にシャイ=フルドの信者となったので、彼らが出てくるシーンのあまりの荘厳さと神聖さに度肝を抜かれてひれ伏していた。ポールが試練で乗りこなすところ、皇帝の船に向かって突撃させるところ、どれも読んだときクソ興奮した大好きなシーンだったので圧倒的映像力と再現度でねじ伏せられて喜ぶマゾが誕生した。マジ崇めるのはシャイ=フルドだけでよくない??????サーダカーも蜘蛛の子を散らすように逃げてたしデューンで一番強いのはポールでもジェシカでもハルコンネンでもフレメンでもなくどう考えてもシャイ=フルドだと思うんですよ。あんな口だけの超巨大ミミズがと思うかもだけどあんな迫力でお届けされたもので信仰するしかなくなった。砂嵐に突っ込んでいけるパワーがあるのはこの神様だけでしょ。シャイ=フルドを、産砂を崇めよ。

 アラキスを水の惑星とするフレメンの悲願が、カインズとその父親の手による気の遠くなるような、知識に基づいた計画ではなく宗教に出てくる楽園伝説として扱われていたのも、先の聖戦重視の脚本に変更したんならいい改変だと思った。まあだったらフレメンにおける水の重要性をPart1からもっと描いてほしかったな感はある。死体から水を絞るシーンで表現したんだろうけど。水がいかにここでは貴重で尊いものなのか、そこの描写が少なめだったせいでアラキスを水の惑星にすることがどんな大事業で人々が信仰に組み込むほどの重みをもつものなのか、そこの存在感が希薄になってしまった気がした。なんでこんなごちゃごちゃうるさいかというと私は原作でカインズ博士が死ぬ間際に父親と自分の仕込んだ計画を走馬灯的に見、惑星そのものを作り替えようとするダイナミックさに畏敬の念を抱きながら志半ばで命を落とすところが大好きだからです。アラキスに雨が降るようにするためには、生態系からまるまる改造して植物を根付かせ、水分を固定し、森を作り…と気の遠くなるような努力が必要だっていう絶望と、その計画が実はもう始まっていて、フレメンの心の支えになっているという事実に希望を感じたからです。。。。今後に期待。。。。

 ごちゃごちゃとうるさいことになってしまったけど、Part2からやっとDUNEが「始まった」な、と思ったし、面白さは圧倒的に1より今作に軍配が上がるなと感じた。ホドロフスキー監督、見てますか。映像化不可能と言われた作品を見事映像に描き起こした人が遂に現れましたよ。part1で拾いきれなかった原作の要素を詰め込み、ビジュアルも構図も色合いも凝りまくりとんでもないものを見てしまったなあと感じた。削ってほしくない要素がなくなってたりで不満点はないとは言えないけど、全体的にみると改変もうまいし面白いと思う。まあ異邦の星から訪れた白人の救世主が有色人種(が多い先住民)を救済するという絵面になってしまっているのはたしかになあとも思った。原作では多めだったイスラム要素を若干省いてる感もあったので(ジハードという言葉が少なくとも字幕上では一回も出てこないなど)ちょっとはヨーロッパが東方を支配/導く的な絵面になるのを避けようとはしたのかななどと邪推している。
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