allisroundさんの映画レビュー・感想・評価 - 4ページ目

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死んだってへっちゃらさ(1990年製作の映画)

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闘鶏になぞらえられた二人の主人公を通して見る奴隷としての黒人たちの被抑圧の過去。示唆的なボクシングのショット。ファノン『黒い皮膚、白い仮面』から引かれる「二重の抑圧」により現れる二人の違い。

あみこ(2017年製作の映画)

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あみこは大衆的なものとサブカル的なもの、対立する枠組みのどちらにも収まらない「あみこ」そのもので、友人がいうにはそれはあみこ的な何からしい。えげつなさと純粋さ。しとやかさと激情。あみこ的な何かに引きず>>続きを読む

沈没家族(2017年製作の映画)

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本作が審査員特別賞を受賞した、PFF大忘年会にて鑑賞。

あらすじ
「私の母はビラを撒いて、幼い私を育てるため家にいない間、代わりに保育してくれる人を募集した。集まった大人たちで始まった共同保育の取り
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鉱 ARAGANE(2015年製作の映画)

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うごめく音の、たゆたう光の、心地よさに酔う。

8 1/2(1963年製作の映画)

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イメージの乱立。幼少期の記憶、いまの自分、自分と関係する人びと、すべてのイメージは映画へと流し込まれる。そこで主体性は捨象され、すべての人間性はひとつのお話のコマとして、おもしろおかしく使い捨てられる>>続きを読む

すばらしき映画音楽たち(2016年製作の映画)

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ぶっちぎりで17年11月のベスト。かつてはただ映写機のノイズをごまかすためだったという映画音楽はいま、映像とあいまって、言語を介在させることなくすべての観客を特定の感情へといざなう力を持つ。過去の名作>>続きを読む

ドリーム(2016年製作の映画)

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期待以上には良かった。公民権運動、第一次フェミニズムを要素として扱ったエンターテイメント映画。メッセージどうこうという作品ではないので深く考えずにみればいい。

ポリーナ、私を踊る(2016年製作の映画)

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後ろ暗さを抱える父親に巻き込まれ、現実世界では翻弄されるポリーナがダンスへ打ち込む、というありふれた出だし。古典の代表格であるバレエからはあっけなく逃げ出し、居場所としてコンテンポラリーを見いだす姿は>>続きを読む

IT/イット “それ”が見えたら、終わり。(2017年製作の映画)

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鑑賞時には突然の大音響とITのルックで恐怖を煽る形式には辟易したけど、いま思えばわりと良かったかも。ITは君たちの心の中に宿る恐怖なんだよっていう、西洋版日本昔ばなしみたいな映画。
ただ、恐怖心の具現
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ブレードランナー ファイナル・カット(2007年製作の映画)

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ファイナルカットから入るのがいいと勧められたので観た。生命倫理は広く好きなので、ガタカと同じで題材は楽しめた。煙る雨、近未来都市、時代において行かれた薄暗い廃墟で作り上げられる世界観。東洋趣味もおもろ>>続きを読む

苦役列車(2012年製作の映画)

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西村賢太の私小説の映画化。見た目にも森山未來の汚し方がいい。遊び、余白のカットがなくすべてに人が入っていて、関係の中にドラマが生まれる。

シアター・イン・トランス(1981年製作の映画)

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81年ケルン舞台芸術祭とアルトー『演劇とその分身』の朗読。60〜70年代に隆盛を見せた、現実へ手を伸ばすニュージャーマンシネマの断末魔のような映画、とのこと。言葉の節々と切っては繋げられた映像との合成>>続きを読む

ウエスト・サイド物語(1961年製作の映画)

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古典傑作だと聞くから見たけど全くハマらず。タップ→バレエの萌芽が見られたのはいいが歌にも踊りにもまだ魅力は感じない。

受動的であることを要請するアメリカ社会、それをいつの間にか内在化しているアメリカ
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美しい星(2017年製作の映画)

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自分が地球人でないことに気づく3つの場面のすべてが、異性と身体を交えてからというのが面白い。そこにあるなにかしらの神秘性を表しているのか。

地球人の心と異星人の心の同居。そのどちらが現れているのか、
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東京流れ者(1966年製作の映画)

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傑作。
シネスコの画面を広角に使ったキメキメな構図のなかの、独自の世界を作り出す舞台芸術と色遣いのセンスが天才的。だからといってアイテムで埋め尽くすのではなく、余白の、なにも置かない美しさを大事にして
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トリュフォーの思春期(1976年製作の映画)

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子どもの嘘やしがらみのないまっすぐさと可愛らしさだけでなく、性、家庭の経済状況、自分と他との違いのいろいろが少しずつ明らかになっていく思春期の実像が露わに。子どもでいられる子ども、子どもでいられない子>>続きを読む

ジュリーと恋と靴工場(2016年製作の映画)

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ダメです。作品への吸引力がなかった。現実世界からの逸脱もなく。タイトルにある靴工場も靴も活かせず。

ボサノバ調ミュージカルに目新しさはあった。曲でいうなら「社長のブルース」。「戦う女」の場面の靴の使
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ギター弾きの恋(1999年製作の映画)

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孤独でエゴイズムあふれる男が優越していると思っていた存在にかえって生かされていたのだと気づく映画。『崖』の方が好きかな。
エメットの理解できない行動を文学的表現に即して理解しようとするけどまったくうま
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三度目の殺人(2017年製作の映画)

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人は人を裁きうるのか。法は人間が定めうるものなのか。
広瀬すずの「ここでは誰も真実を話さない」とのせりふが示すような人を扱うはずの司法のゲーム化、訴訟経済と銘打って裁判自体は空虚なものになり実質的審議
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新感染 ファイナル・エクスプレス(2016年製作の映画)

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集合体としてのゾンビのインパクトにやられた。走り、どんどん積み重なってできるゾンビ山のショットは度肝抜かれる。

バイオハザードの兆候の演出が上手かった。くるまの窓から伸ばした手に落ちるスス、走り出す
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パターソン(2016年製作の映画)

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一日一日の繰り返しが愛おしい。小さな自分の領域で生きるためには不満もぐっと飲みこみ、不穏の種は摘み、獲得したものより多くを望まずにそれを慈しんで過ごすパターソン。平凡ゆえにひとつ返答を過てばすぐにでも>>続きを読む

5時から7時までのクレオ(1961年製作の映画)

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歌手であるクレオが死の未来を告げられ、最序盤で世界は色を失いモノクロの画面となる。

医師の検査結果を待つ二時間の間立ち止まることなく、それこそ病的に歩き回る彼女は、死を恐れるというより悲劇のヒロイン
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七月のランデヴー(1949年製作の映画)

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ドアが閉まるから音楽が鳴り始める。そんなこと当たり前だろう?リズミカルな細かいカット割り、鳴り響くジャズはモノクロの画面をいろどってゆく。
いちど親元から離れた若者たちは停まることなくパリの街を駆け巡
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劇場版ポケットモンスター キミにきめた!(2017年製作の映画)

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このレビューはネタバレを含みます

今まで見てきた、ただひたすらにまっすぐなだけな少年とは一味違うサトシの負の感情を見るのは初めてだった。
鑑賞者と作中人物との次元、生と死の概念をも飛びこして主人の元へと駆けつけるピカチュウは、サトシに
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PARKS パークス(2016年製作の映画)

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このレビューはネタバレを含みます

スチルやトレイラーから想像させられ、実際に序盤に見せつける青春音楽映画の中では細かなカットの切り替えとジャンプカットの多用、そしてロケーション間で常に走って移動する主人公たちからは早く次へ、という印象>>続きを読む

美女と野獣(2017年製作の映画)

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「野獣」へと変身させられたことは外見によって老婆を寄せ付けなかった王へのサンクションであり、決して肉体的な強さを手に入れたわけではない。それは精神的、そして身体的な人間の醜さの表象なのだから、人間とし>>続きを読む

(1953年製作の映画)

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愛が1つも見当たらない恋愛映画。エゴイズムの相克

ラ・ピラート(1984年製作の映画)

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入れ替わりがめまぐるしい映画。ホテルの部屋、船室、車などの小さな舞台に5人の登場人物が入れ替わり立ち替わり現れ、その組み合わせを変えながら要所要所の極端なクローズアップに映し出される表情より関係を少し>>続きを読む

夜と霧(1955年製作の映画)

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記録映画の極致。
記録映像と写真は「これが人間か」と思うほどの残虐性を持ち言葉を失い数日は脳裏に焼き付いて離れないほどの衝撃を放つ。
それらに合わせ一人の語り手が客観的な目線、自分を連行されるユダヤの
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