IDFA2020にて。フレデリック・ワイズマンの最新作『city hall』(市役所)、275分の大作を堪能。故郷ボストンの市政運営、市民の対話の観察を通じ、都市の多様性を考察する。マーティ・ウォルシ>>続きを読む
2月のベルリン国際映画祭のオンライン試写で鑑賞。こちらは濱口の珠玉の短編3本。ドライブ・マイ・カーとは一線を画しながら、どこか類似したものを感じる。スクリーンでの公開が楽しみ。
※以下簡単なメモ。>>続きを読む
Cannes in the city screenings に参加していたこともあり、期間中に合わせて劇場で一般鑑賞。意欲的なのは認めるが、細田守がやはり親を描くのが下手くそなのは変わらず、さらに伝え>>続きを読む
こちらは、カンヌ映画祭期間中に合わせたオンライン試写で。今年一番の大傑作。
1996年に発生したポートアーサー事件の犯人、マーティン・ブライアント(NITRAM(ナイトラム))の犯行への動機をジャスティン・カーゼルが描いた作品。ケイレブ・ジョーンズが、ナイトラムの狂気(サイコ>>続きを読む
このレビューはネタバレを含みます
7月6日から開幕されたカンヌ国際映画祭の対面都市試写「Cannes in the city」(こちらは7月8日から)に参加した。東京では美学校試写室とユーロライブで行われていたのだが、マルシェがオンラ>>続きを読む
ペドロ・コスタ『ヴィタリナ』と石立太一『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』に共通するのは記憶の忘却、訣別を静謐な映像の中で描き出しており、その中で光り輝く女性の美しい肖像なのである。ヴィタリナも>>続きを読む
三年ぶりに東陽一監督『絵の中のぼくの村』を。原作者の少年時代の記憶を描いた作品。その中には、子供心ながら村八分が故の偏見や差別が常に残っていることを嗅ぎ取っている。教育的映画の最高傑作と言えよう。
宮崎大祐『Videophobia 』、とんでもない傑作。モノクロームの映像にもかかわらず極めてスタイリッシュに現代の破滅と死、そして自性と他者性のの境界の無化を描き出している。
ユベール・ヴィエル監督の『アルテミス、移り気なこころ』の配信情報を知り観ていたら、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の1982年版が引用されていることに驚愕した。東映動画以外の初の魔法少女アニメであり>>続きを読む
未見の作家パトリア・マズィ『ポール・サンチェスが戻ってきた!』。刑事物でありながら、虚像との闘争という映画らしい壮大なテーマが両立している良作。配給がついて劇場公開されないのが不思議。
『ジャン・ドゥーシェ、ある映画批評家の肖像』、唯一無二の映画人ジャン・ドゥーシェの肖像、とりわけ声を通して映画とは何かを観客に再考させる。映画とは完成ではなく運動という思考において、今もなお重要な示唆>>続きを読む
本日見たナダヴ・アビド『シノニムズ』もまた素晴らしい作品だった。監督自身の経験を踏まえて、亡命、言語レベルから文化を一から獲得しようとする青年の苦闘、そして形而上学的な理念との対立により、心の中で忘却>>続きを読む