映画狂人さんの映画レビュー・感想・評価 - 4ページ目

夢の丘(2019年製作の映画)

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「女優霊」「リング」の脚本家で「霊的ボリシェヴィキ」の監督としても知られる高橋洋による短編ホラー、流石はJホラーの第一人者だけあってしっかり怖い。
金網や雨と言ったモチーフの使い方、間の取り方や音響の
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真夜中はいつだって平等で脆く、(2018年製作の映画)

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母親との最期の別れ、息子の涙。
人によっては(或いは状況によっては)響くだろうが、ド直球な涙の押し売りでは心動かず。

ペイル・ブルー・ドット(年製作の映画)

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ゲイカップルのちょっとしたすれ違いを描いたドラマ、アンジャッシュのコントを観ているようで巧い。
展開は予想通りだけども話の紡ぎ方や二人のやり取りがもどかしくも切なく胸に沁みた。

逃げ去る愛(2018年製作の映画)

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映画は運動であると明示してみせるかのような強烈なカット割りと増村並に動きまくる人物達、演劇のような構図に芝居掛かった台詞回しや題名からしてヌーベルバーグを意識しているのは明白。
キャメラワークは最高な
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漂うがごとく(2009年製作の映画)

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ベトナム・ハノイを舞台に女性視点での性を描いたドラマ。
ツァイ・ミンリャンに通ずる「水」のモチーフの多用、秘めた欲望を携え愛を求めて彷徨う若き新妻の姿はロウ・イエ作品の登場人物にも近い(あちらほど激し
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審判(2019年製作の映画)

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ブラック企業の入社面接を皮肉たっぷりに見せるディストピア、面接官役の森啓一朗が嫌味ったらしくハマり役。
オチは「なるほどな」と納得。

終末のイヴ(2019年製作の映画)

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人類滅亡後の世界を舞台に生存者を探す男とAIのやり取りを描く。
設定自体は使い古された感があり新鮮味に欠けるが、砂漠のようなロケーションは目を引く。

あの娘の神様(2019年製作の映画)

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カルト教団の教祖と信者の話。
シリアスにも出来そうな題材を中学生が休み時間に考えたような馬鹿げた笑いでぶった斬る。
葛堂里奈の血塗れ絶叫演技が光る。

赤ちゃん中華生まれたて食堂(2019年製作の映画)

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店主と客のシチュエーションコントかと思いきや徐々にホラーチックな展開へ流れていく、反復が笑いや恐怖を生み出す事は往々にしてあるが少々くどい。

沈黙(1962年製作の映画)

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20世紀最大の巨匠ベルイマンの輝かしいフィルモグラフィーの中でも取り分け難解と評される「神の沈黙」三部作の三作目。
憎しみ合う姉妹の怒りや言いようのない孤独感を、異国のホテルを舞台に徹底的に削ぎ落とさ
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フォービデン・ゾーン(1980年製作の映画)

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「扉の向こうは、6次元の国でした」
異空間フォービデン・ゾーンへと迷い込んでしまった一家を描くミュージカルコメディ。
製作から40年以上経た今なお一部で熱烈な人気を誇る所謂カルト映画、しかしながら一体
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鏡の中にある如く(1961年製作の映画)

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牧師の息子として生を受けたベルイマンが神に挑む「神の沈黙」三部作の一作目。
一組の家族を通して浮き彫りになる監督自身の生涯のテーマ、沈黙する神に対して我々人間の在るべき姿をアンチテーゼとして問い正す。
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田園に死す(1974年製作の映画)

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前作『書を捨てよ町へ出よう』でも見られた姥捨の要素をよりブラッシュアップして「母殺し」という最終的なテーマを明確化した半自伝的作品、寺山修司の半生を知った上で観ると母に対する愛憎入り混じる屈折した感情>>続きを読む

書を捨てよ町へ出よう(1971年製作の映画)

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時代を挑発した生粋のアナーキスト寺山修司、早逝の天才劇作家の指示のもと素人とプロが混在になって行う演劇実験。
国家権力に丸腰で立ち向かうかの如く製作者と観客の間に存在する見えない壁を木っ端微塵に打ち壊
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叫びとささやき(1972年製作の映画)

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女の情念はかくも生々しくグロテスク、鮮烈な赤のイメージは母の子宮を思わせる。
人間の原罪を追求し深淵に挑むが如しベルイマン、途方もない。

第七の封印(1956年製作の映画)

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死神との対話から浮上するニヒリズムの極致、死を受容し神の存在を見極める実存主義的展開。
映画的文脈を脱構築し敢えて舞台化する事で、沈黙する神に対する絶対的な死の概念を可視化。
遠写で捉えた死の舞踏が齎
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仮面/ペルソナ(1967年製作の映画)

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開始早々怒涛のモンタージュ映像に圧倒される。
自己の外的側面=ペルソナとは誰にでも当て嵌まる集合的無意識や社会的動物である人間の特性、それ即ち仮面を被り演技をする女優という職業そのものである。
本作に
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魔術師(1958年製作の映画)

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暗く重苦しく難解なベルイマンらしからぬ喜劇。
メイクと付け髭でハッタリかますマックス・フォン・シドーの異様な存在感、陰影の濃いショットに表情だけで感情が伝わるクローズアップ。
異色作ではあるがそこはベ
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夏の遊び(1951年製作の映画)

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ワンシーケンスだけとは言えベルイマンがアニメを用いた事に驚いた、暗く重苦しく難解な作風が特徴の作家故に。
終盤に於ける鏡を巧みに使用した対話場面等はベルイマンの真骨頂。
20世紀最高の映画監督と謳われ
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冬の光(1962年製作の映画)

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牧師の息子として生を受けながら映画監督という全く別の道を選択したベルイマン。
彼自身の生涯のテーマとも言える神の不在。
沈黙を続ける神に対し我々人間は如何すれば良いのか。
さて、「神の沈黙」三部作の二
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スプリング・フィーバー(2009年製作の映画)

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中国映画界第六世代と呼ばれる監督の一人ロウ・イエ(他にはジャ・ジャンクー、ワン・ビン、ワン・シャオシュアイ、リー・ユー、チャン・ユアンなど)、前作『天安門、恋人たち』で天安門事件を扱ったため中国電影局>>続きを読む

母たち(1967年製作の映画)

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寺山修司の詩を岸田今日子が読み上げる、日常に潜む生と死の邂逅。
アメリカ、フランス、ベトナム、アフリカの母達の映像が順番に流れ当時の社会を投影する。
寺山や松本と何度もタッグを組んでいる名撮影監督=鈴
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石の詩(1963年製作の映画)

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石を題材に石工の写真と音楽のみで構成されたイメージの巣窟、物言わぬ石が雄弁に語りかける。

色即是空(1975年製作の映画)

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般若心経と音楽のサブリミナル実験、LSDでもブッかましたかと錯覚するサイケデリックパンチライン。

つぶれかかった右眼のために(1968年製作の映画)

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マルチ画面で構成されたカオスな映像実験、今となっては使い古された手法だが60年代の日本でこれをやってのけたのは先駆的。
当時の日本が如何に狂っていたか、濁流の如く止めどなく流れる映像に圧倒される。